ユーゴスラビア
(1) 一般事情
ユーゴスラビア連邦共和国は、セルビア共和国とモンテネグロ共和国から成る。
中部ヨーロッパ南部からバルカン半島西部を占め、北はハンガリーと、西はクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと、東はルーマニア、ブルガリアと、南はマケドニア、アルバニアとそれぞれ国境を接し、南西部はアドリア海に面している。
国土面積は102,350km2(日本の0.27倍)、人口は1,060万人で、首都をベオグラード(人口116万人)におく。
人種はセルビア人、アルバニア人、モンテネグロ人など主要民族が6つとされているが、少数民族を含めると30ぐらいとなる。
言語はセルビア語で、宗教はセルビア正教、回教、カトリックなどである。
通貨はディナール(1999年4月30日現在1ドル=10.923ディナール)を使用している。
80年代から緊張が続いていたコソボでは、住民の90%を占めるアルバニア人とセルビア人の民族紛争の銃撃が98年以降頻発し、99年3月にはNATO軍の空爆が始まり6月まで続いた。
一方、外交面では、同国の旧ユーゴとの継続性の主張は認められておらず、国連その他の国際機関への復帰は果たされていない。
ユーゴスラビアの経済は、92年5月に国連安保理によって経済制裁が課せられ、その後、正常な経済活動は事実上停止状態にある。
95年10月に経済制裁は解除されたが、同経済は好転していない。その要因としては国際通貨基金(IMF)、世界銀行等国際金融組織へのアクセスを認めない米国による制裁があげられる。
さらに、種々の社会的要因によって雇用人数が多く、社会に与える影響の大きい社会企業の民営化が進展していないこと等、経済の構造改革が進んでいないことが大きな要因となっている。
NATO軍の空爆によるユーゴスラビアの経済的損失額は、約600億ドルともいわれている。
このため、1999年の実質国内総生産(GDP)の成長率はマイナス40%程度に落ち込み、GDPは89年の約30%の規模まで縮小することが予測され、99年の1人当りのGDPは、これまで欧州で最低であったアルバニアを下回る見通しとなっている。
公式推定によると、ユーゴスラビアの1989年の住民1人当りの社会生産(SP)は、旧ユーゴスラビア(6ヶ国)の87%(ディナール算定)であった。
これを基準として算定すると、現在のユーゴスラビアの89年の1人当りの国民総生産(GNP)は、2,540ドルと算出される。