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基調講演

 

伊勢湾の歴史と文化

 

福岡 猛志 (日本福祉大学副学長・教授)

 

歴史と文化

伊勢湾をめぐるこのようなシンポジウムにおいて、現代の社会的・経済的間題や自然料学的情報にとどまらず、歴史と文化の問題を採り上げられたことに対して、深い共感と敬意を表明したい。人は単に一人の個人としてではなく、具体的な地域の自然条件の中で歴史的に形成された文化を背負って成立している地域社会の一員として、生活をして行くのであり、一方、その歴史と文化を規定する自然的条件もまた、人間の営みによって歴史的に変化を受けるのである。

護岸工事や埋め立て工事、あるいは港湾の建設は、伊勢湾の自然条件との関係で生まれたこの地の文化的必然であったが、それは明らかに伊勢湾の自然の変化をもたらした。よくも悪くも、歴史と文化は、これからの時代を考えるための、前提であり、それを無視した将来計画は、この地に根付かないと思う。

 

耽羅の鰒

さて、伊勢湾の文化というものを考える場合には、伊勢湾の内部を対象とするだけでは、極めて一面的なものに終わってしまう。私は、古代史を専攻している研究者であるから、先ず最初に、古代史に題材を求めて、端的な例を挙げることから始めたい。

図1は、奈良時代の荷札の一種であり、平城京跡から出土したものである。このような木片に長で文字が書かれたものは木簡と呼ばれているが、この木簡は、志摩国から調として都に貢進された「耽羅鰒」(たんらのあわび)の付け札である。調というのは、律令時代の税目のひとつで、それぞれの地域の産物を現物納するのが、たてまえであった。

 

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図1 平城宮木簡一 (国立奈良文化財研究所)

志摩国からは、鰒(あわび)や海藻類が調として納入されていたのだが、一点だけ「耽羅鰒」というものがあって、これは何か特別の鰒らしいのだが、特別の加工をほどこしたものか珍しい種類なのかよくわからない。九州地方には、この鰒を納入することが定められている国があるのだが、実態はわからない。ただし、耽羅とは、実は韓国の済州島の古代名である。つまり現代風に言えば、「耽羅鰒」とは「済州島アワビ」ということになる。「関サバ」とか「土佐カツオ」などのように、地名のつくものは基本的にはそこの産物ではないだろうか。

 

 

 

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