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患者の意志を尊重できるよう支援

 

聖マリアンナ医科大学病院

三谷 美星

 

はじめに

 

実習開始初日、二人の患者が印象に残った。一人は症状コントロールがつき自分なりの目標を持つまでになり、病室にはたくさんの花や植物、お気に入りの置物が飾ってあり、限られた生活空間の中で最大限に楽しんで入院生活を送っている患者K氏がいた。もう一方の患者H氏は「苛々して仕方がない」「どうせ死ぬんだからこんなことしてても仕方ない」と物事をネガティブにしか捉えることができず苦しんで過ごしていた。

この対照的な二人の患者が発病してから今日に至るまで、どう病気と向きあい対処してきたか、また何がどのように影響を与えたのか理解するために面談を申し込み、それぞれの患者から学んだこと、感じたことをここに報告する。

 

事例紹介1

 

1) 患者紹介

患者:K氏、52歳、女性、10人兄弟の末から2番め

職業:以前はスナック経営、40代になり服飾関係の仕事へ転職する

病名:右乳がん術後、胸壁転移。左がん性胸膜炎、多発性骨転移

ホスピス入院:1999年4月17日〜

ホスピスの理解:延命治療をせず安らかに死ねるところ

家族構成:夫は35歳の時胃がんで死亡。子供にめぐまれなかったため、一人暮らし

介護者:妹(稲城在住)

 

2) ホスピス入院までの経過

1992年2月、右乳がんで神奈川県立がんセンターにて乳房切断術施行。

1994年5月、右胸壁再発。

1994年6月、国立がんセンター築地中央病院にて化学療法開始。

1997年1月、右胸壁に再発し放射線療法・化学療法施行。

1998年3月、右坐骨転移で化学療法施行するが疼痛増強し、右坐骨に放射線治療施行し軽減する。

1999年3月1日、徐々に進行する呼吸困難と頭蓋骨右下顎骨への転移による疼痛増強のため入院。頭蓋骨、右下顎骨、頸椎の疼痛に対し放射線治療とMSコンチンを開始し軽減するが、放治による口腔粘膜障害のため食事摂取困難となり末梢より補液を投与する。また呼吸困難の原因は胸水とADMによると思われる左室機能低下と考えられ、胸水ドレナージとCaブロッカーの投与を行う。本人が化学療法を望んでいないこと、予後が3〜6か月と考えられたことより緩和ケアが最も適切と判断し、本人も希望したためがんセンター東病院を紹介したが、妹夫婦が稲城に在住しており聖ヶ丘病院を希望する。

 

3) ホスピス入院後の経過

1999年4月17日、聖ヶ丘病院緩和ケア病棟へ入院。入院時、呼吸困難、頭蓋骨・右下顎骨・右坐骨・仙腸骨の疼痛、口内炎、下顎のしびれ、食欲不振等の症状があり、臥床がちで食事も摂取するのが困難な状況であった。モヒ水・ロキソニン3T/3×の内服、10%キシロカインの持続皮下注等によるペインコントロールや呼吸困難に対しプレドニン・ネオフィリンの内服、酸素投与または適宜胸腔穿刺を施行。

 

 

 

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