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第21回作曲賞選考経過と選評

 

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海老澤敏

 

昨年度第20回という記念すべき節目を迎えた財団法人日本交響楽振興財団作曲賞であったか、本年度は三つ目の<十年期>(デケイド)に入って、音楽の創作活動に精進し、邁進しておられる作曲学徒にとっては、ますます貴重な体験の場、そして顕彰の場となっていくことであろう。

すでに長く続いている経済的低迷は、文化活動にも、そして音楽実践にも、大きな影響を与えていて、いまだ曙光さえ感得できない暗闇の中にあるかにみえる。そんな状況の中で、昨年11月27日(金)に、1900年代を締めくくる第21回作曲賞の第1次選考がおこなわれた。

いつも私が執拗に語っていることではあるが、応募される作曲学徒の皆様の、孤独な、集中的な努力の営みが、こうした作曲賞選考というかたちで、とにもかくにも、掬(すく)い上げられることによって、社会からも、音楽界からも隔絶した空しい試みに終わることなく、皆様の表現意欲が、美しいとはあえて言わずとも、印象的な音楽像の創造へと収斂していくことを願いつつ、選考委員諸氏は集い、論議し、主張し、そして全員の賛同ないし承認を得て、結論を下すのである。

本年度もまた昨年と同じようなプロセスで選考がおこなわれた。今回の応募者は、前々回、前回が17名であったのに対し、28名と大幅に増えたことが注目される。まず、統計的なデータを紹介してみよう。

応募者28名中、再応募が9名であった。学歴の上では、一般高校中退者が1名、一般大学卒業者が5名、また総合大学に置かれた音楽科の卒業生が3名、そして専門の音楽大学(芸術大学を含む)学部卒業生が一番多くて8名、その音楽大学(芸術大学を含む)大学院在学者が5名、そして同修了者が6名となっている。

年齢層は、22歳から67歳にまで及び、20歳台が9名、30歳台が12名、40歳台が3名、50歳台が1名、そして60歳台が3名となっている。50台、60台の人たちの挑戦も注目されるが、作曲技法の専門性といった観点から、若い世代に一籌(ちゅう)を輪するのは時代の趨勢と言うべきだろうか。

シンフォニックな作品の中でのジャンルの細分は、現代では古典派やロマン派の時代のようにはいかないが、それでも<交響曲>と称するものが3曲、<管弦楽曲>が18曲、<交響詩>と題されたものが1曲、そして<協奏曲>のジャンルに含まれるものというべきか、独奏楽器(複数のものを含む)を伴うものが6曲といった分布を示している。

演奏時間もまちまちで、最も短い曲が7分、最長のものが22分、10分以上15分未満のものが最多で、半数の14曲であった。

さて、当日は、武田明倫、野田暉行、広瀬量平、別宮貞雄、間宮芳生、松村禎三の6氏のほか、海老澤敏が出席、高田三郎、三善晃の両氏が書面審査で加わり、一柳慧、岩淵龍太郎の両氏が欠席であった。

委員会開催当日を含め、5日間の内覧期間を設けてあり、委員諸氏は、この期間に内覧作業を終えていた。前回までと同様、座長を私海老澤が受け持って、選考が始められた。

第一次選考方法は、昨年までと同様、出席委員のそれぞれが、全応募作品について、自分が選考対象として残すことに賛成するものを、曲数に制限なく挙手で指名する形をとった上で、高田、三善両委員の書面による評価をも加えて、合計点数を出す方式を試みた。

第1回の投票で、28作品中はやくも半数以上が0票という結果となり、早々に選外となったが、1〜2票を得た曲については、選考委員からの発言を求めた。一つの作品をのぞいて、否定的評価が多く、さらに4作品がその時点で選外となった。

 

 

 

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