PROFILE
新星日本交響楽団
Japan Shinnsei Symphony Orchestra

新星日本交響楽団は1969年(昭和44年)、国内初の自主運営のオーケストラとして創立し、意欲的な演奏活動により楽壇に新風を送り込み好感をもって迎えられました。1977年5月楽団顧問に故山田一雄が就任。1981年3月27日には財団法人の認可を受け、初代理事長に劇作家の飯沢匡が就任し、第一級のオーケストラとしての基礎を確立しました。
現在、サントリーホール、東京芸術劇場での年間18回の定期演奏会をはじめ、コンサート、オペラ、バレエ、TV及びFM放送への出演等、多彩な演奏活動を行っています。その人間味あふれる温かさに満ちた演奏、音楽に対する情熱的で真摯な姿勢と高水準の演奏は、各方面より絶大なる評価を得ています。また、音楽を限られた人々の喜びにするのではなく、親しみやすくユニークな企画で聴衆を拡大しながら、オーケストラを聴く機会の少ないところへも積極的に出かけ、国内における演奏活動の充実に務めてきました。音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」(語り:黒柳徹子)はその代表作のひとつです。
1990年には楽団創立20周年記念事業として初のヨーロッパ公演を行い、「アストリア・フェスティヴァル」(スペイン)、「ドレスデン音楽祭」(ドイツ)をはじめ、各地の音楽祭へ参加しました。また、1995年5月の第2次ヨーロッパ公演では、著名なチェコの「プラハの春」国際音楽祭(ドヴォルザークホール)での招待演奏会をはじめ、ドイツ[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス及びベルリン・コンツェルトハウス]、イギリス「ブライトン国際フェスティヴァル」、ルクセンブルク「'95ヨーロッパ文化首都」、スロヴァキア[ブラティスラヴァ・フィルハーモニーホール]、スペイン[バルセロナ・カタロニア音楽堂]の6ヶ国で公演し、各地で高い評価を受けました。このほかにもアジア・オセアニア諸国との音楽交流に力を注ぎ、すでに100曲を越える作品を国内に紹介してきました。1995年12月、これら創立以来の広範な活動と成果に対し第19回音楽之友社賞を受賞しました。1997年7月、財団理事長に黒柳徹子が就任。1997年10月にオープンした新国立劇場のレギュラー・オーケストラとして更に活動の場を広げ、黒柳新理事長の下、“芸術と響き合う”“人間と響き合う”“自然と響き合う”“コミュニティーと響き合う”“アジアの国々と響き合う”の5つの響き合うをテーマに、音楽芸術の普及と向上のための全国的な活動を展開しています。故山田一雄を永久名誉指揮者に冠し、1999年4月より首席指揮者パスカル・ヴェロ、名誉指揮者兼芸術顧問オンドレイ・レナルト、指揮者現田茂夫の新指揮者体制をスタート、さらなる音楽的な飛躍をめざします。
赤坂達三/クラリネット
Tatsuzoo Akasaka

14歳より故田中保人氏に師事。国立音楽大学に進み、1985年渡仏。
パリ12区ポール・デュカス音楽院を首席で卒業、ベルサイユ国立音楽院を首席で卒業。続いてパリ国立高等音楽院の室内楽とクラリネットのクラスを1位で卒業した。コンクールでは、パリ国際音楽コンクール1位、トゥーロン国際音楽コンクール3位、日本木管コンクール1位、日本クラリネットコンクール1位なしの2位、と輝かしいコンクール歴を重ねてきた。
パリ国立高等音楽院卒業までに、横川晴児、小笠原長孝、ギー・ドプリュ、アルフレート・プリンツ、ミシェル・アリニョン、アンドレ・ブー夕ール各氏に師事。
1992年に帰国し、日本での本格的な活動をスタート。これまでに、山形交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、バルトーク・クァルテット、澤和樹弦楽四重奏団などとの共演を果たしてきた。また、カザルスホールの『長谷工クラシックスペシャル』のアーティストに抜擢され1995年7月より5回のシリーズを展開し、全て完売と大成功を収める。
ロンドンに本拠地を置く「国際クラリネット協会」の本部から「40年来の偉才!」と絶賛され、注目されている。
実力とスター性を兼ね備えたアーティストとして、NHK・FMを始めとするラジオや民放テレビへの出演も多く、幅広いファン層を獲得。クラリネット・ソリストとして独自のスタイルを築き、新風を巻き起こしている。
ソロアルバムは、マイスター・ミュージックより「赤坂達三クラリネット・チャルダッシュ」、ビクターより「ソワレな夜」、「異邦人」の3枚がリリースされている。98年9月、ソニー・レコードより「英国の薫り」がリリースされた。
松尾葉子/指揮者
Yoko Matsuo

1982年フランスのブザンソン指揮者コンクールで、女性としては史上始めて、また日本人としては小澤征爾に次いで二人目の優勝という壮挙により、一躍注目を集めた松尾葉子は、帰国後1984年だけでも、女性だけのオーケストラ「レディース・オーケストラ・ジャパン」(5〜6月)、二期会公演オペレッタ「メリー・ウィドー」(7月)、オペレッタの名花メラニー・ホリディとの共演(9月)など話題の演奏会をはじめ、日本フィル、京都市交響楽団、新星日本交響楽団、名古屋フィル、群馬交響楽団、新日本フィル、東京交響楽団、大阪フィルなどを指揮、実力と人気を兼ね備えた指揮者として着々と地盤を固めている。
名古屋生まれ。1971年お茶の水女子大学教育学部音楽科に入学。1975年同大学を卒業後ただちに東京芸大指揮科に入学、渡邉暁雄、小林研一郎両氏に師事した。1979年東京芸大大学院に進み、一年間群馬交響楽団で指揮の実習を行う。
1981年フランスに留学、パリのエコール・ノルマルでピエール・デルヴォー氏に師事。翌1982年にブザンソン指揮者コンクールで見事に優勝を飾り、大きな話題をさらった。
同年帰国し、名古屋フィルを指揮して生まれ故郷の名古屋にデビュー。1983年、NHK「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団を指揮、絶賛を博した。以後、東京交響楽団、新日本フィル、読売日本交響楽団、日本フィル、新星日本交響楽団など日本の殆ど全てのメジャー・オーケストラを次々と指揮し、高い評価を得ている。また、オペラ、オペレッタの指揮でも好評を得ている。
1985年には文化庁移動芸術祭および関西二期会公演の「メリー・ウィドー」、1987年は二期会公演「こうもり」、1988年、4月には関西二期会公演「カルメン」、および12月に東京フィルとの「トラヴィアータ」を指揮し、絶賛を得た。これを機に、数々のオペラ、オペレッタを指揮して高い評価を得ており、1989年には、トーマの「ハムレット」東京グローブ座にて指揮した。これは、おそらく「ハムレット」の本邦初演とされ、多くの人々に絶賛され、1990年12月の再演も好評を博した。1991年9月二期会公演「メリー・ウィドー」、1992年9月二期会公演「こうもり」、1993年5月大阪カレッジ・オペラハウス「コシ・ファン・トゥッテ」、1996年3月都民オペラ劇場「ドン・ジョヴァンニ」など多くのオペラ、オペレッタを指揮し、高い評価を得ている。
これらの、女性指揮者の枠をこえての活躍に、各オーケストラの信頼も厚い。
また、海外での活躍も期待されている。1988年には、トゥールーズ室内管弦楽団など多くのオーケストラを指揮し、1985年11月にはパリ・シャンゼリゼ劇場でラムール管弦楽団を指揮した。1993年4月には、芦屋交響楽団のヨーロッパ・ツアーに同行、ベルリン、ウィーンにて指揮し、好評を博した。
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