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PROGRAMME NOTES

有田栄

 

ベリオの編曲

 

ベリオの作品表には、実にさまざまなレヴェルの「編曲」が並んでいる。モンテヴェルディ、シューベルト、マーラー、ヒンデミット、ヴァイル、ビートルズ、そして民謡など。しかしベリオは、いわゆる「アレンジ(並べかえ)」ではなく、「トランスクリプション(書きかえ)」という言い方をする。つまり、彼にとっての「編曲」とは、「トランスクリプション」の本来の意味である「そこを通ってさらに向こうへと」書くこと、あるいは、「トランスレーション(翻訳)」、すなわち「彼方へと運ぶ」ことなのである。

彼によれば、そもそもヨーロッパ文化は、ギリシャ語やヘブライ語からラテン語へ、そしてラテン語から各国語へ、という「翻訳」のプロセスによって発展してきたもので、そうした異なる体系を解読する作業こそが、文化の新しい次元を切り開いてきた。――音楽における転写や編曲は、その実際的な側面のひとつなのだ。たとえばバッハは、自作を編曲するたびに、自分のアイディアを解読しなおす作業をくりかえした。また19世紀には、交響曲やオペラの編曲によって、音楽の受容が多様化していった。しかし何より重要なのは、「編曲」の作業は、さまざまな要素を持った叢のような作品の中に分け入り、分析し、理解する手段として、最も優れているということだ、とベリオは言う。

実はこのことは、ベリオがずっと貫いてきた、彼自身の創作の基本姿勢のようなものともつながってくる。「作曲とは、ひと続きの音楽的思考が発展していく、その一連のプロセスであって、個々の曲は、その場面場面で産み落とされていくものだ」――ベリオはそう考える。だから、一つ一つの作品は互いにつながっている。一つの作品は、いったんそこで終っているのだが、しかし同時に、それ自体で完結しているわけではない。曲を書くということは、その前に書いた作品、つまり自分の音楽的思考を、解釈しなおすこと、書きかえることにほかならない。その作業は、作曲をする限り、永遠に続いていく。

ベリオは、作曲を「ユリシーズの旅」になぞらえ、自分は音楽を探究する旅の船長だ、と言ったことがある。彼の船もまた、かの「イアソンのアルゴー船」のように、あらゆる部品を何度も取り替え、姿を変えながら、そして他の船を乗っ取り、他の船に乗っ取られながら、どこまでも進んでいくのだろう。ただ、その旅は、ひたすら故郷をめざして進むが、本当の意味で帰るべき故郷はないのだ、とベリオは言う。

ある作品は、他の作品の「注釈」である――この考え方を最もよく表すのは、彼自身「タマネギ・シリーズ」と呼ぶ、《セクエンツァ》と《シュマン》の連作だ。タマネギの皮は、一枚一枚はバラバラだが、同じ曲面で互いにぴったりとくっつき、全体として一つの球を作っている。しかも常に新しい皮が生まれつづけている。この概念は、彼の創作すべてに共通するものだ。ベリオの場合、作曲も、編曲も、この「注釈」という考えのもとに行われる「同じ行為」なのである。

 

ベリオ:マドリードの夜の帰営ラッパ〜ルイージ・ボッケリーニの4つのオリジナル版による(1975)

 

18世紀の作曲家、ルイージ・ボッケリーニ(1743-1805)の音楽にもとづく作品。イタリアのルッカ出身のボッケリーニは、もともとはチェロ奏者で、ウィーンやパリを中心に演奏・作曲活動を行なっていた。後にマドリードに移って、スペインの王子ドン・ルイスの宮廷演奏家として活躍したが、その名は遠いベルリンの宮廷にまで聞こえるほどだった。弦楽四重奏や弦楽五重奏といった室内楽の作品が多いが、特に五重奏曲には、《ファンダンゴ》や、この《マドリードの夜の帰営ラッパ》など、個性的で面白い作品が多い。

「帰営ラッパ」は、当時「シナトラの歌と同じくらい」(ベリオ談)人気のあった曲だったので、ボッケリーニは楽器の組み合わせを変えて何度も編曲している。

 

 

 

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