それはどのような時か。いうまでもなく「棚上げ」した側が「棚から降ろし」ても、自己の側に有利に解決できると判断する時である。尖閣諸島の領有権問題を「棚上げ」した時、中国の海底石油探査・開発能力はいたって低かった。また中国の海軍力はほとんど取るに足りない貧相なものであった。しかしその時から15〜20年を経て、中国の海底石油探査・開発能力は著しく向上している。中国の海軍力は周辺の海域に常時展開できるところにまで成長してきている。中国が東シナ海の石油開発に本格的に乗り出す条件はすでに整っている。
この10年来中国では上海・浦東地区の開発に力を入れている。1992年2月の旧正月に深 、珠江、上海などを訪問した?ケ小平は改革を促進するための重要な講話を行ったが、そのなかで「私の大きな誤算は四つの経済特区を開設した時に上海を加えなかったことである。加えていれば、現在長江三角州、長江流域全域、ひいては全国の改革・開放の局面は大きく変わっていたであろう」と述べて、浦東開発に力を入れる方針を明確にした。浦東開発に石油は不可欠であり、東シナ海の石油開発はその成否を左右する重要な要素の一つとなろう。中国の東シナ海石油開発は間違いなく進展する。
なお東シナ海はわが国にとって重要な漁場であるが、1991年から1993年にかけての数年間この海域に中国の船と考えられる国籍不明船が多数出没し、とくに1993年には沖縄諸島の近くに出現し、そのため漁業ができない状態が生まれた。
3.2.:平湖ガス油田の完成
1998年4月中国は東シナ海の日中中間線近くの平湖ガス油田に、海底石油採掘施設を完成した。平湖ガス油田は上海の東南方約400キロの東シナ海大陸棚に位置する。中国は1970年代に同大陸棚の石油探査を実施し、1980年代に入ると日中中間線に沿った中国側海域の20数ヵ所で試掘を行なってきた。そして1980年代末までに中間線の真ん中に位置する大陸棚、なかでも平湖ガス油田が最も有望となった。天然ガス主体の中型石油天然ガス田で、総面積240平方キロメートル、確認されている軽質原油とコンデンセート油の埋蔵量は826万トン、天然ガスの埋蔵量は146億5000立方メートルである。
1992年に上海石油天然ガス公司が設立され、1994年から具体的な準備が開始され、同年9月海上工事の基本設計が完成した。1996年11月上海で着工式が挙行され、石油掘削船・南海6号が掘削を開始した。2本のガス井と4本の原油井、計6本が掘削され、うち4本が11月末までに稼働条件を整えた。
他方平湖ガス油田に設置された石油採掘施設は、ガイドパイプ受け台と海底に固定する12本の杭(総量8000トン)、その上に据え付けられる4層の採掘・採油プラットフォーム(総量4000トン)、90人収容の生活プラットフォーム(総量1100トン)などから構成される。高さ120メートル。海底石油採掘・採油プラットフォームとして普通の規模である。設計生産能力は原油年産80万トンと天然ガス年産5億3000万立方メートルである。上海石油天然ガス総公司が1995年設計に着手し、1996年に国際入札を実施、そのうち上海の江南造船所が居住施設、他の主要施設を韓国の現代重工業が落札した。現代重工業は1997年3月から蔚山の施設で製造を開始し、いずれも1998年3月までに陸上での組み立て・調整作業を終えた。