山下典子
はじめに
高度情報化時代といわれる現在、私たちは、世界各国からリアルタイムで情報を得ることができる。いまや、地球上のあらゆる地域がくまなく映像化され、視聴覚メディアで瞬時に伝達される。たとえ一度もパリに行ったことがなかったとしても、パリの風景としてエッフェル塔が浮かんでくるだろう。そしてエッフェル塔と、東京タワーや通天閣の区別は、たいていのひとびとが可能であろう。また、はじめてパリに行くなら、エッフェル塔に行くことを選択するであろう。いや、行ってしまうであろう。ひとびとは、その前で写真を撮ったりビデオカメラをまわすことだろう。筆者は、このような行動をかつて「思い出の証拠づくり」*1と名づけた。このような行動は、日本人だけでなく世界中のひとびとが、今もむかしも、誰もが一度は経験していることであろう。
「景観」にたいするひとびとのこのような視線は、何に規定されているのであろうか。「景観」と「風景」とは、まったく違った次元にあるものだ。「景観」とは見る対象物であり、「風景」とは、ひとことで定義するならば、歴史的文学や芸術=表現と地理的風土によって生みだされた、見る人にとって自発的な心象・表象である。*2つまり、ある「景観」が「風景」として成立するには、その景観の歴史的・地理的な情報が必要なのである。
はじめて欧米の景観や情況が、正確にかつ客観的に日本人に紹介されたのは開国後のことである。この時期は、初期の情報化社会の到来であると考えられる。しかしそれら情報は文章だけの紹介であり、1870年(明治3年)に刊行され多くの人々に読まれた福沢諭吉の『西洋事情』*3ですら、扉絵にどこの国のものかもわからない西洋建築物を記載しているだけである。その読者たちは文章から西洋諸国をイメージできずに、『福翁自伝』によれば「(『西洋事情』にかかれていることは)西洋のおとぎ話でとんでもないこと」*4として信用してもらえなかったという。
*1 拙稿「花博会場内における人々の行動調査からの一考察」『花の万博総合研究会報告書』、花の万博総合研究会編、1991.
*2 拙稿「風景の社会学再考―オギュスタン・ベルクの風土理論をめぐって―」『社会学研究 第15号』、甲南女子大学大学院社会学教室編、1997.
*3 福沢諭吉『西洋事情』(1870年刊行)『福沢諭吉全集』、1975.
*4 福沢諭吉『福翁自伝』(1899年刊行)(新訂版) 岩波文庫、1978. P.315.