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表4 北海道への台湾人客数の推移(1995年〜1999年6月)

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資料:日本観光協会台湾事務所が日本アジア航空の資料及び出入国管理統計を基に作成した。

注:北海道庁は、1996年度以前の台湾人客数を集計しておらず、5年にわたる推移をみるため本資料を使用した。

・:前年同期との比較

 

1. マーケティングの立ち上げ

[1995年4月〜1996年9月]

(1) 日本アジア航空(EG)による北海道路線への切り替え

1994年に入り、ハウステンボスを中心として九州ツアーによる送客が本格化していた。この九州ツアー販売の先駆者は、九州への直行定期便路線を持たない日本アジア航空(EG)が中心となって組織した旅行会社14社のコンソーシアムであった。その後、シーガイア、スペースワールド、ハーモニーランド等のテーマパーク巡りツアーが人気を集めるにつれ、福岡への直行便を運航するCI、BR、CX(キャセイ航空)の競争力が高まった。また、多数の旅行会社の九州ツアー参入により、価格を下げる競争が熾烈化した。

一方、その頃、EGの親会社である日本航空(JL)は、収益が伸び悩んでいる羽田及び関西空港発着の長距離国内路線の需要喚起のため、EGによる台湾人送客を要請した。また、EGは、秋と冬に競争力のあるデスティネーションを求めていた。台湾のいずれの航空会社も北海道への直行定期路線を運航しておらず、また他社は国内線との乗り継ぎによるツアー商品造成が経費的理由等で困難であるため、EGにとり北海道は競争力のあるデスティネーションであった。

EGは、1995年4月、関空または成田・羽田経由新千歳空港の国際線と国内線の合計運賃より約30%割安の通し特別団体運賃を、系列の旅行会社に対し提供し始めた。さらに、6〜9人の小グループに対しては特別団体運賃より4%を上乗せしただけの「ミニツアー」運賃を導入し、立ち上げ期において北海道ツアー商品の価格競争力の向上に強力な支援となった。

 

(2) 日本観光協会台湾事務所の重点誘客地域の切り替え

日本観光協会台湾事務所は、1993年からテーマパークを主体とした九州を最重点のデスティネーションとして誘客活動を展開していた。ハウステンボスの台湾人入場者数は1993年度34,500人、1994年度114,400人となり、1995年は94年度を超す勢いで急増しており、軌道に乗ってきていた。1995年4月を過ぎた頃、同所はEGが九州から北海道へ重点デスティネーションを切り替えたことを知った。

 

 

 

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