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「そう、あそこに遊覧船が一艘走っておるじゃろう。あの辺りじゃった。わしらがそれを見たのは」そこには、八景島の遊園地と横浜港とを結ぶ洒落たデザインの遊覧船が一隻、白い航跡を引きながら北寄りに向かって走っていた。東風にかなり翻弄されているようにも見えた。

「軍艦はどちらの方向に向かってタンクを曳航していたのですか ?」

私が尋ねた。

「あの遊覧船と同様、北の方向に向かってじゃよ。それ程大きな軍艦ではなかったよ。海防艦という奴かな。果敢にも自分より大きな火のついたタンクを一生懸命引っ張っておったよ。もっともあの遊覧船と同様、なかなか前に進んではおらんようじゃったがのぅ。

そのうち、わしらが気付かんうちに何処かへ行ってしまったよ。一体何処へ行ったのやら。

……残念だがこれがわしの知っていることのすべてじゃ……。年寄りが皆さんのお役に立てなくて申し訳ないのぅ。せっかく遠くから来て頂いたのに……」

新三はそう言うとお茶を一口啜り、白いタオルで首筋のあたりを丁寧に拭った。そして姿勢を正し、再び遠い一点を見据え始めた。過去の様々な出来事をゆっくりと振り返るように。

新三の目にきらりと何かが光るのを私は見た。暫しの沈黙が続いた。私が口を開いた。

「すると池内さん。池内さんは箱崎のタンクの炎上と思われる火柱と、火のついたタンクの曳航光景をご覧になっただけなのですね ? 海上に重油が漂う様子は一切見てらっしゃらないのですね ?

ほかの漁師さんは如何でしたか。当時、『東京湾が重油に覆われてしまった』といった話をどなたかなさっていませんでしたか ?」

池内は「はっ」と我に返りこちらを振り向いた。

「東京湾が重油に覆われた ? いいえ、わしは見ておらんし、聞いてもおらんです」

池内ははっきりとそう答えた。

「池内さんの家を含め、当時、この辺りの家は皆漁師さんでしたね。震災の復旧作業もありましょうが、生計を立てるため、遅くとも一週間以内には再び湾内の漁に出ていたはずです。

無論、池内さんも従来どおり親爺さんの漁の手伝いをなさったことでしょう。

ですが当時、親爺さんや他の漁師さんからも、海上の重油に関する話は一切出なかったのですね ?」

私は執拗に問い掛けた。

「おっしゃるとおりじゃ」

池内が頷きながら答えた。

「では東京湾の魚の様子はどうでしたか。何か変わったことがありませんでしたか ?

例えば地震の後、魚が大量に浮いたとか、獲った魚が油臭かったとか」

池内は静かに首を横に振った。そして、ふっと思い出したような表情を見せ再び静かに語り始めた。

「八景湾に油が流れ込んだとしたら、漁以外にも影響があったはずじゃ。そう、この近辺の塩田や海苔棚にも影響があったはずじゃ。

じゃがわしの記憶している限り、当時、海苔や塩が油の被害を受けた話は一切なかったよ」

「塩田ですって ?」

八景湾の一部では今でも冬場になると海苔棚が敷設され、海苔の栽培が行われている。それならばこの私も知っている。だが塩田の話は初耳だった。一体全体、東京湾の塩田とは何の話であろうか。

勇船長が、「やっと自分の出番が来たようだ」という表情で口を挿んできた。

「おう、おう、それならば俺も知ってるおう。平潟湾の塩田の話だおう。親爺に聞いたことがおるんだけどおう、今じゃ平潟湾は遊漁船やレジャーボートの溜り場になっているけど、その昔は立派な塩田だったんだおう。

それ、そこの水路、そこは昔閉じていたんだおう。金沢と野島は陸続きだったんだおう」

勇船長は窓の外、野島橋の辺りを指差した。

「では船はどこから平潟湾へ出入りしていたのですか ?」と私が尋ねた。

「平潟湾の出入口は昔はここじゃなくて、裏にある野島と夏島の間の水道だったんだおう。

ほら、自動車のテストコースのあるところ、その脇の浅い水道だおう。俺の船では通れねぇとこだおう」

 

 

 

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