今でもはっきりと覚えているよ。
『都もひでぇようだけど、海軍さんも大変だぁ』とねぇ。指差す方を見ると、野島越しに吾妻島の方で真っ赤な焔が黒煙とともに空高く立ち上っていたよ。
やがて日が暮れた。『天をも焦がす火柱』とはあのことをいうのじゃろう。わしは正直言ってその時『何と美しい光景なのか !』と思ったよ。
不謹慎な話じゃろ……。じゃが、あれは決してこの世の光景ではなかった。わしはすっかり見とれてしまったよ。まるで祭りの花火でも見るようにね。まだ子供じゃった……。
そうそう勇、お前の祖父の梅吉さんもその場におったよ。『あれは海軍さんの吾妻島、箱崎の油タンクに間違いねぇ !』と叫んだのは、確か梅吉さんだったはずじゃ。わしの親爺も『梅吉の言うとおりじゃ !』と相槌を打っておったよ。
わしはふと我に返った。軍港の若い水兵さん達の様子が気になったのじゃ。軍港は当時、『おか』からは完全に閉ざされておった。十尺ばかりの黒い板塀が軍港の周りじゅうに張り巡らされておった。だから『おか』からは決して軍港の中の様子を覗い知ることはできなかったのじゃ。
『海』は別じゃ。その年の夏のある日、わしは親爺と漁に出ておった。軍港の目の前に大ぶりの黒メバルの溜まる根っこ(岩礁のこと)があったのじゃ。その日、わしらはその黒メバルの根で漁をしておった。停泊する軍艦のそれこそ目と鼻の先じゃ。
よう釣れた。わしはすっかり漁に夢中になっておった。ふと気が付くと軍艦の後ろの甲板に若い水兵さん達が数人集まり、こちらを見ておったのじゃ。わしはてっきり叱られるものと覚悟した。じゃが違った。皆笑顔で一斉にわしらに手を振りおった。真っ黒に日焼けした顔から白い歯がこぼれる様子を今でもはっきり覚えておるよ。
親爺がその時言った。『新三、心配することねぇ。海軍さんは皆わしら漁師にやさしいよ。きっとあの水兵さん達の親爺さんも故郷で漁師やってんだろうよ。だからわしらの姿見て懐かしがってんだろうよ』ってね。そんな訳で、わしはあの水兵さん達の様子が気がかりでしょうがなかったのじゃよ」
そこへ山口の細君が奥から再び現れた。めいめいの湯飲みにお茶を入れ直し、一切れのカステラが載った酒落た青いガラスの小皿を配った。新三はゆっくりと一口お茶を啜り「ふっー」と一つ溜め息をついた。そして話を続けた。
「多分その翌日のことじゃったと思う。わしは信じられない光景を目の当たりにしたんじゃ。八景の真沖で、軍艦が火のついたタンクを引っ張っておったんじゃよ」
「火のついたタンクを軍艦が曳航していたですって ? それは本当ですか !」
私は思わず大声をあげた。そして、その光景を自分なりに頭の中でイメージしてみた。火のついた重油タンクが海上を「ぷかぷか」と浮かび、それを軍艦が曳航している姿をである。あまりにも非現実的な光景であった。
「そんな状況が現実にあり得るものであろうか !」誰もが抱く疑問が私の脳裏を渦巻いた。それを察してか新三が話を続けた。
「いいえ本当ですとも。わしならずもこの辺りの漁師仲間は皆、その信じられないような光景を見ましたとも……。
そうだ、あの辺りじゃったかのう。軍艦がおかしな物を引っ張っておったのは……」
新三の右手の人差し指が窓の外、遥か彼方の一点を示した。皆の視線が一斉にその一点に集中した。そこには左側を八景島の遊園地に、右側を大手造船所に囲まれた東京湾の湾央部の風景が広がっていた。