靹・風速の浦安芸津・長門の浦……風待ちもあって早二週間も過ぎました。なつかしの故郷ははるかはるか遠く雲煙のかなたです。思い出すのは故郷に残してきた愛妻のことばかりです。
わが故に妹嘆くらし風速(かざはや)の浦の沖辺りに霧たなびけり
風速の浦に碇泊した時の歌です。私のために妻が嘆いているのだろうか。沖合に霧が立ちなびいていくよ、と望郷の思いにかられる団員の姿。
重大な使命を負っての船出なのに、なんと女々しい心情よ、と思ってはいけない。この歌に限らず、この使節団の全百四十五首のほとんどは、航海中、碇泊中を問わず妻恋いの歌、望郷の思いに満ち満ちているのです。
海原を八十(やそ)島隠(かく)り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも
玉の浦の沖つ白珠拾(しらたまひり)へれどまたそ置きつる人を無み
数々の島を経てはるか遠くにまで来たが、だからこそよけい奈良の都が忘れがたいと嘆きつつ、玉の浦できれいな白珠を拾ったが、また海に返してしまった。私にはそれを見せて喜ぶ妻がそばに居ないのだと自分に言い聞かせる夫。
新羅へか家にか帰る壱岐(いき)の島行かむたどきも思ひかねつも
百船の泊(は)つる対馬の浅茅山時雨(しぐれ)の雨にもみたひにけり
やっとの思いで壱岐の島へ。新羅はまだまだ遠い。行くべきか、ここからあのなつかしの家に帰るのか、壱岐の名のままに行くすべを考えあぐねて悩む団員。そして対馬へ。秋には帰るはずだったのに、遅れ遅れてここでは冷たい時雨に濡れた紅葉の季節に入ってしまったのです。そして紅葉がまた故郷を、そして妻を思い出させるのです。
●下着にこめる赤裸な愛
大和(やまと)島を離れて波高い玄海から壱岐そして対馬へ。苦難の航海はつづきます。何度も危険な目にも遭ったでしょう。死も覚悟したはずです。眼前には冷たい冬の海が広がります。
しかし『万葉集』は苦闘の航海の姿を一言も伝えようとしません。後の編者の意図もあったでしょうが、不可解といえば不可解です。ところが、妻恋い、望郷の念に満ちた歌を順を追って読み進むと行間ににじみ出る“人間愛”の姿が浮かびあがるのです。長くつらい航海だからこそ、団員たちは人間の真の声をうたいあげたのではないかと気づきます。その意味でも飾らない秀れた航海歌です。万葉人への愛(いと)しさがつのるような歌の数々です。
別れなばうら悲しけむ吾が衣下にも着ませ直に逢ふまでに
吾妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を吾解かめやも
わが旅は久しくあらしこの吾(あ)が着る妹が衣の垢づく見れば
長途の旅に夫婦が下着を交換するのは愛の表現です。航海がどんなに長くなりお前の下着が垢づこうが私の愛のため帰るまで紐は解かないという赤裸な表現。これも広い広い海の上だからこそ実感をもって私たちに迫まります。百四十五首目はこうして締めくくられるのです。
大伴の御津の泊(とまり)に船泊(は)てて龍田の山を何時(いつ)か越え行かめ
龍田の山を何時越えるか、早く帰りたい、妻のもとへとうたいます。(第四話 終)