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災害に強いまちづくりについて

〜施設的まちづくりから住民参加のまちづくりへ〜

筑波大学社会工学系

熊谷良雄

 

1. 初めは、施設的なまちづくりから

昭和20年8月15日に終結した太平洋戦争の戦災復興が各地で進展する中て、我が国は数々の大火(消防白書では建物焼損面積が33,O00?以上の火災。したがって、工場等での大規模火災も大火とされている)に見舞われた。長野県飯田市は昭和21年7月15日(198棟)と昭和22年4月20日(3,742棟)、秋田県能代市も昭和24年2月20日(2,238棟)と昭和31年3月20日(1,475棟)の2回、さらに、秋田県大館市では昭和30年5月3日(345棟)、昭和31年8月18日(1,344棟)、昭和42年10月12日(281棟)の3回の大火に遭った。

市街地大火によってほとんど全ての建物が全焼した地区では、主として土地区画整理事業によって街路・公園等の都市基盤が整備されたが、”うわもの(上物)”といわれる建物の再建は従前所有者に任され、また、非焼失区域の都市基盤整備に割くことのできる予算はわずかな額であった。例えば、能代市では、2つの焼失地域に挟まれた地区の都市計画街路が拡幅・新設されるまでに、約30年もの年月を要した。

焼失建物の再建のために、耐火建築促進法(昭和27年、防火建築帯建築助成)、防災建築街区造成法(昭和36年、防災建築街区の共同化・面開発促進)と次々に防火関連法が施行され、昭和44年には市街地再開発法として統合された(法律名は通称)。これらは、延焼拡大を食い止める路線的な耐火建築群の造成や戦後復興から取り残された街区の更新を目指したものであり、それぞれ、一定の効果を上げてきている。

一方、東京都では、地震時の同時多発出火、その延焼、さらには、避難の上での大きな課題が表面化してきた”江東デルタ地帯”の安全性を高めるために、昭和44年11月、6ヵ所の防災拠点から成る「江東地区再開発基本構想」を策定した。防災拠点の建設は白鬚東地区を手始めとして次々と着手され、現時点でも事業は継続されている。

以上のような事業は、被災した市街地や大きな被害が予想される市街地を、行政主導かつ施設的施策によって更新し耐火性の高いまちづくりを目指したものであり、いわば点的・線的な施策に終始したものであった。

 

 

 

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