教訓その13 地域の民間救急病院に負傷者が集中する。
日常から名前をよく知っている民間救急病院に負傷者、とくに重傷者が集中する。水を中心とするライフラインの確保が病院機能の継続につながる。
教訓その14 地元医師のネットワーク化
地元の医師会と地区内に住む医師同士が日頃から交流を進め、ネットワークを作る。そして、近隣の病院や医院における臨時的な治療行為を経験し、災害時にボランティア活動を行う。
教訓その15 重傷者の搬入はおよそ1日半で終わる。
被災地の病院では、18日の夕方までに重傷者の手当が終わり、一息付ける状況が見いだされたと言われている。避難所での軽傷者の手当はその前後から始まっている。そして、入院患者の後方転送や慢性疾患の通院者への処方も必要となる。このような医療事情の時間的変化に対応できるような態勢を準備しておくことが大切である。
6.4 ボランティア
「ナホトカ」号重油流出事故におけるボランティア活動も踏まえて、つぎの教訓が得られる。
教訓その16 コーディネータを育成する。
ボランティア活動の成否は、コーディネータの活躍に依存する。受入調整などはすべて彼らに任せる。彼らは日頃から地域活動のリーダーである。ボランティア活動を後方支援するスタッフの充実も必須である。
教訓その17 ボランティアの引き際を設定する。
ボランティアはあくまでも行政ができないこと、不得手なことを補う立場である。被災者の自立を助けることが目的であるから、3ヵ月を最長とする。重油流失事故でも、処理作業が峠を越えたら、ボランティアの受入数の制限や受入しない時期の明示が必要である。
風評災害もこれで防げる。1999年9月には仮設住宅が残り500戸を切っている。公営住宅を中心に被災者の定住化が進められながら、ボランティアが不足しているという声が聞こえてくる。しかし、基本は地域のコミュニティによる自立であって、ボランティアのアウト・ソーシングによるコミュニティ活動支援は、災害時に不可能となる。そのような意味で、高齢者や社会的弱者に対する外部の給食業者委託による供給体制は単にコストの問題から決定されるべきではない。地域内での給食サービス体制も整備すべきであろう。
教訓その18 ボランティア活動などの受け付けはボランティア本部で行う。
行政は、受入窓口を作らず、民間ボランティア組織に任せる。インターネットなどを用いて情報をボランティア本部から発信し、ボランティアはそれを見て応募する。
ここでは、阪神・淡路大震災で得られた教訓の内、被災後約1日以内に起こる課題に対する教訓を取り上げ、震災後4年9ヶ月経過した時点で、どのような新たな内容が付加されたかについて例を示した。文中でも紹介したように2000年1月に兵庫県は『震災対策国際総合検証事業』国際シンポジウムを実施し、20の課題について問題点などを明らかにしようとしている。また、2000年1月17、18日にメモリアル・コンファレンス・イン東京が建築学会ホールで開催され、阪神・淡路大震災と災害に関する『ぼくのふしぎ、わたしのぎもん』について、もっともふさわしい人から回答をいただく形式で教訓を21世紀に伝える努力を継続している。このような試みに積極的に関わっていくことが私たち一人一人の災害対応力を向上させ、ひいては災害に強いまちづくりにつながっていくものと考えている。