当時、私は救急隊員として交通事故現場に出場しました。現場に着くと、負傷者である老人は目立った外傷もなく、ただ頭を抱えたまま道路上にうずくまっていました。いつものように、まず負傷者に対して「どうしました、大丈夫ですか?」こう問いかけたのですが、相手はただ首を横に振っているだけで返事は返ってきません。私は、声が届いていないのだと思い、耳元で何度も大声で「どうしました、大丈夫ですか?」と呼びかけたのですが、一向に返事は返ってこないのです。そんな私を見た隊長が諭すようにこう言いました。「そんなに大声を出すな。たぶん、耳が聞こえてないんと違うか。」
救急現場に出場したら、いつもマニュアル通りにまず相手に具合を尋ねる、そんな私にとって相手に尋ねることすら出来ない、このような場面に直面したとき、頭の中が真っ白になり、どうしたら相手に伝わるのか分からず、ただ呆然とするのみでした。
すると、隊長が私に筆談を指示したのです。しかし、我を忘れている私にはそれがうまく出来ませんでした。なんとか負傷者を病院に搬送することが出来たものの、引き揚げる間際のあの老人の不安そうな顔は、今でも忘れることは出来ません。そして、それがきっかけとなって手話を習いはじめたのです。
それから1年ほどの月日が経ち、私の勤務する消防署に一つの施設見学の依頼があり、なんと、聴覚障害者の団体がやって来るというのです。上司から担当を指名された私は、当日、必死に習いたての手話、そして体を使って表現していたのですが、相手に通じているのか、終始半信半疑のまま施設見学は終わりました。
ところが、私の思惑とは裏腹に、全員の拍手とともに一人の老人が私に近づいてきました。そして、私の手を取り涙ながらにこう言ったのです。「とても良く分かりました。ありがとう、ありがとう。」そのとき、私の心のなかで何かが変わっていくのに気づいたのです。
それは、今までこの手話というものを、ただ単に聴覚障害者との会話の一手段としてしか考えていなかったのが、この手話により相手は安心し、また、私たち消防を信頼し、そこで初めて心を開いて、会話が始まるんだと確信したのです。
確かに、文字を使ってやり取りする「筆談」という方法もあるのですが、果して文字だけでこちらの真心が伝わるでしょうか。安心して心を開いてくれるでしょうか。
近年では、「バリアフリー」という言葉がよく囁かれるようになってきています。健常者はもちろんのこと、災害弱者に対しても「バリアフリー」であること、つまり垣根を無くすことが消防の本来あるべき姿ではないでしょうか。
そのためには、災害弱者が健常者と同じような生活ができるよう、あらゆる方法を考え挑戦し、その一つとしてこの手話を自分のものに出来るよう、これからも更に力を入れて取り組んでいきたいと私は思っています。
いつの日か、再び災害現場で聴覚障害者と出会った時に、こう言って手を差し延べられるように。
『大丈夫ですか?』と。
優秀賞
関東支部代表 石田悦美
「処置拡大の必要性について」
「救急車の中で電気ショックができるってほんとうですか?」
『はい、できますよ』
「それじゃ助かる人ってかなりいるんですね?」
『私の経験では…』
(今日は救急講習会だから、これに因んだ答えを出しておこう)
『助かるか、助からないかは、電気ショックよりも救急車が到着するまでの応急手当に左右されます』
最も無難な答えだと思いませんか。しかし、私はこの質問に事実を答えてよいものか迷いました。