帆船の歴史は古くその起源は何千年もの昔に逆上ります。コロンブスが初めて大洋航海に成功してからでも500年以上を経過しました。19世紀初頭に開発された汽船が実用化され、帆船よりも普遍化したのは19世紀の半ばを大分過ぎてからのことです。20世紀に入るとともに実用帆船は洋上から急激にその姿を消しました。今日見られる帆船は、練習船か、そうでなければ観光船かということになっています。
帆船が練習船として、また観光船として用いられる理由は、海と海を取り巻く自然環境を直視できるからです。帆船は最新鋭船を含めたあらゆる船の原点にあり、現代船における船舶用語と海事慣習の源流であるということができます。帆船を語るには帆船の船上が一番です。しかし、特定の限られた時間内に帆船についてすべてを語り尽くすことは到底不可能ですから、講義内容についてはそれなりの工夫が必要です。学習会が些かなりとも船上の実践において得られない部分を補い、次なる実践のより良い糧となるならば、これに勝る幸はありません。そう思って今航の学習会では毎回スライドを使ってさまざまな帆船と帆船に関する映像を投影して見せることによりある程度の臨場感を得て貰いながら、講義だけでは足りないところを予め配布した参考資料で補うことにしました。
参考資料には『歴史読本ワールド'90・12(特集 地球オデッセイ大冒険)』に掲載した筆者による「図説・大航海時代」を転用しました。その内容は、船型と帆装(全装帆船の出現;船型の変遷;帆装の変遷)、著名帆船(ポルトガルの初期探検船;サン・ガブリエル;サンタ・マリアとニーニャ;ヴィクトリア;ゴールデン・ハインド;カリブ海の海賊船;アンリ・グラサ・デュー;ソヴリン・オブ・ザ・シーズ)、航海の技術(沿岸航海;大洋航海)、船員の生活(乗組員の編成;航海当直;日常生活)、迷信と慣習(海の怪獣;悪魔払いの船鐘;海の洗礼式;帆船の懲罰;汚水と船食い虫)というよな諸項目について絵入りで説明したものです。
大阪南港から博多まで4泊5日の航海でしたので夕刻の学習会は初日、2日目、3日目の3回にわたって行いました。したがって毎回のテーマを変えることによって少なくとも3つの方向から帆船の様相とその魅力の根源を探って貰うことができました。テーマは大きく(1)帆船の航海(2)帆船の生活風景(3)帆船の歴史の3項目に分けましたが、具体的には概略次のような内容について、仮泊した初日は上甲板で、航海中の2日目と3日目はメスルームでという風に適当な場所を選んで学習しました。
学習内容の概要
(1) 帆船の航海
イギリスのグリニッジに保存し公開されている帆船カティ・サークは19世紀の典型的なクリッパー・シップであり、当時の面影を余すところなく忠実に伝えている。1860年代のティー・クリッパー・レースとそれに続くウール・クリッパー・レースは世界を巡る正に帆船黄金時代の大イベントであった。これらの帆船は地球上の風系と海流を巧みに利用して驚くべきスピードで洋上を疾駆した。カティ・サークは中国茶をロンドンヘ運ぶティー・クリッパーとして建造されたが、スエズ運河開通で東洋航路を蒸気船に奪われる時期と重なったためオーストラリア産羊毛を運ぶウール・クリッパーに転進して名声を博した。記録に残るカティ・サークの航海は最盛期帆船の性能とともに漸く完成の域に達した古典航海術の実状を示してくれるとともに、当時の帆船に乗った人々がどのように海すなわち自然の様相を理解してその中へ溶け込んで行ったかを教えてくれる。
(2) 帆船の生活風景
19世紀の帆船にはエンジンもなければ発電機もなく、もちろん空調設備などあるわけがない。その代わりとても静かだった。照明はランプかランタンのどちらかである。夜の船内に不要な明かりはなく、人々は暗がりに慣れていた。船内の造りや調度品は素朴であったが、それなりの風情もあった。単調な航海中の生活では、甲板掃除や操帆作業など決まり切った毎日の日課の合間に人々は楽器を奏でたり、唄ったり、ふざけたり、衣類の繕いをしたり、模型船を作るささやかな楽しみにふけることもあった。しかし、一旦大時化ともなれば全員が上甲板に出て腰まで海水に洗われながら操帆作業をしなければならないこともあった。反対に風がなく、海面が穏やかなときには入港に備えて帆船の象徴ともいえる船首像の化粧直しをすることもある。港内で帆船は船首を岸壁に向けて接岸したが、海岸通りから見るバウスプリットと船首像の列は美しく壮観でもあった。
(3) 帆船の歴史
帆船は1本マストの1枚帆から始まったが、船体が大きくなり1枚帆では間に合わなくなった時点でマストを増やし帆の枚数を増やすことになる。3本マストで船首と船尾のバランスの取れた帆装である全装帆船の原型が出現したのは15世紀であり、その典型例がコロンブスの乗ったサンタ・マリアである。16世紀のアンリ・グラサ・デュー、17世紀のゾヴリン・オブ・ザ・シーズはともにその時代の特色を表すが、帆だけでなく船体も16世紀前半の城郭をそのまま船に積んだような不安定なものから次第に改善され、18世紀にはヴィクトリーのような軍艦とは別に海賊船や密輸船に使われた軽快な帆船が現れた。しかし、帆船が本当に発達したのは19世紀であり、その主流は3本マストのシップまたはバークである。ただシップまたはバークといっても各マストに備える帆の形や枚数は船によって異なり、それが帆走性能の違いにもなっていた。また船体が大きくなるとマストを高くする危険を避けて4本、5本とマストの数を増やしたのであった。