絵の具と光の混色の違い。縞模様白黒のペーパーを使ってみよう。
光に当てて動かすと色が見えてこないか。これはシャボン玉と同じ原理。すべての色が出てくるのがわかると思う。
偏光グラスを使って色の見え方について、簡単な実験を行う。(出席者に回覧)
光と色光を人工的に作り出す方法がわかったと思う。
(1) 舞台の中に照明として生きてきた時代。
光を演出する技法は、日本、東洋、西洋を問わず、光という物を演出するために色々と工夫をしてきたのである。
先に話した西洋の教会のステンドグラス、日本の金箔を用いる方法として二条城の天井壁は、みな金箔でめくるめくような光の状態になるよう演出がなされている。
(2) 光という照明について
光というものが物質と言うことで、我々の世界観が変わってきた。我々の生活自体が演劇空間となっていくだろうと思う。
日本の舞台美術の中で照明というものがどういうふうになってきたか。
蝋燭、篝火、月の光、反射板を使う様になってきた。ヨーロッパは劇場も昼から夜もやれるようになってきた。いわゆる照明器具の発達があったのである。
自然の光、ヨーロッパの場合は舞台の上の方に光を取り入れる窓からの光を、鏡を使って反射させている。鏡の反射の角度によって観客に当たるようになっていった。非常に手の込んだ舞台の作り方をしていた。
美術家たちは、光という物をどのように思ったり、考えたり、人間のありようの中で、効果があり楽しんだりして、色んな意味で腐心してきた。
(3) 光陰矢のごとし
実際に光陰矢のごとしと言われるが、光というのが何を指すか考えてみると、それは太陽の陽、日、陰は月のことであり、月日のたつのが早いことを言う。
光は何を表しているか。松明を持って手を広げた形。人が松明を持った手で皆を照らすことを言う。
最後に、今では市町村のいたる所で舞台やステージができて、多種多様な装置が入ってきているのが実状である。
一般の人たちが持っている光という物のイメージがどうなのか、根本的に知る機会があったらいいなと思う。光という物が自分たちの生活の中に精神的に役立つだけでなく、人間全体の意味としての光がどういうふうに問われているか。演劇や舞台美術、美術の中でもどう問われているか。見る側にうまくどういうことに光を使って作り手はイメージを作ろうとしているか、感じさせようとしているかと言うようなところが、これからの美術において大きな問題になってきている。光そのものを作品化しようとしている作家も増えてきているが、片方で舞台美術の中でも広げていただきたいと思っている。