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結局アーティストを芸術監督に選んでいますよね。アーティストの性格というのは、自分が中心ですから、自分をいかに実現するかという人を選んでしまっています。芸術監督に必要な資質というのはそういうものではありません。もっと問題なのは、その人しかいないということです。それ以外だれを選べるのといったときに、社会的につくっていないから、いないわけです。それで、どうしても有名な人を選んじゃおうということになる。

だけど、つくれている国だってあるわけです。それはかなり社会的な投資をしてつくった。今つくっても、恐らく10年とか15年かかるかもしれないけれど、今つくらなければ永久につくれないし、僕は5年ぐらいでできると思っています。学生に社会的なことを教えて、訓練をして、見る目を養ってというのに3年かければ、内容のことはかなり大丈夫になるし、あと2年社会的訓練をすれば5年でOK。30代にならないうちに責任あるポジションにつけてしまえということで、年功序列はこの場合はじゃまになります。

やはり50ぐらいになると保守的になっちゃうし、もう無理じゃないかとすぐ思ってしまうから、世代交代を早めて、そういう人たちを30代にならないうちに責任あるポストにつけられるような形になれば。

C 芸術監督の制度に関係する話なんですが、日本の場合、非常に不幸なのは、文化施設が幾つできても、それが芸術創造ということと無縁だったということです。今、具体的にお名前が挙がっている鈴木さんにしても、私がある意味で注目しているのは、施設と芸術創造の関わりがそこでできたということです。

私はこの6月まで上野の東京文化会館の副館長をやっていたんです。実は、施設を拠点として何かやらないといけないということで、私の方は国際のつかない舞台芸術創造フェスティバルというのを始めまして、そのときに話題性のある、一定の発言をしている話題作を招待してやろう。その中で、一つ取り上げたのは鈴木さんの取り上げたリア王の話です。利賀村の話が出ましたが、利賀村で起きてきたことというのは、いろいろな批判もあると思うんですが、鈴木さんがあそこでやってきたリア王を作曲家の細川敏夫さんが利賀村で見て、それでこれを何とかオペラにしたい。途中で何度か挫折しながらも、みんなでミュンヘンに出品をするということで、何とかそれをオペラに仕立て上げた。ですからそういう意味で、今までオペラリアの物語といいながら、やっぱり今までにない芸術様式です。そういうものが、現実に利賀村があって、人の出会いがあって、静岡があって、できてきた。

 

 

 

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