NPOも何となくそういう気がしています。NPO法人なんて僕にとっては道具です。道具ならば使いやすいように磨こうということです。それと具体的内容の問題は別だ。市民活動は興味があるけれど、そのシステムのNPO法人は道具なんだから、なるべく使いやすいようにしようよという気持ちなんです。
システム論議だけをしてもしょうがなくて、内容に踏み込まないといけない。内容に踏み込んでシステムをつくろうという論議は、残念なことに全然されないんです。
いろんな学者がいろんなことを言っていますけれど、残念なことに市民活動の内容は知らない。そういう人が枠組み論議をしても相当無駄なことだと思うので、やはりこれはそういうところから論議をしないといけないなと思います。
例えば、ドイツの場合は、国を挙げてこのアーティストを推薦していますといって言ってくるわけです。日本ではそんなこと絶対にあり得ません。国で論議して、今年はこのアーティストを海外に売り込みますいう形で押し出してくる。これは明らかに内容について論議していて、客観的に今年はこれだということを言ってきていますから、ここでは何が高度なのかということが論理的にはっきり言えないとおかしい。
ここにちょっとした誤解が今までありました。アートの質の評価は可能かという問題なんですが、これについて、アートは好きなように感じたままに受け取るのがいいんだというような論議が一方的になされてきました。それは確かにそのとおり、だれも強制することができない。これも半分しか真実を言っていません。
それに対して、教育して、養わなければわかりませんよというのも本当です。それは、いろんな蓄積のもとにアートはなされていますから、ただ感じたままで、何にも見たことがない人の見方と、かなり熟練した人の見方が同じだったら、アートに全く深みがないということです。かなり深みがあるから、ぱっと見て感じたといっても、相当レベル差があるんだということです。アートは素直に感じたままに受け取るのがいいけど、実際に感じたものが何なのかということは、かなり教育的な要素がある。だからただ素朴に受け取ってくださいというのではないはずです。
もう一つ、アーティストとしてはちょっと面倒くさいので、この答えが相手を追い払う一番の言葉なわけです。つまらない質問をされても、あなたは好きなように感じて結構ですよと答えれば、追い払えます。つまらない質問について追い払ってしまうという防衛の言葉でもあるのです。そういう意味ですから、半分しか本当じゃないと考えていただいて結構です。半分というか、ほとんどうそだと考えてもいいです。