かなり手厚く援助とか、いろんなことを毎日やっていかないと、いけないんじゃないかと思う。両方と、東ティモールなんかの反応を見ていると、そこら辺の距離感というか、どこまでやっていいかです。
貴島 3、4年かけて援助して、どういう文化をつくるかですよ。東ティモールは東ティモールの文化がありますから。それぞれのアイデンティティーがあったような、都市のつくり方とか。
僕ら軍隊で行ったときには、家をつくるのは簡単で、1日でできるんです。床は竹なんです。竹を切ってきて、屋根は椰子の葉っぱ。それで終わりですから。乾期は全然雨は降らないから、開けておけばいい。壁がいらない。そんな生活をずっとやっていたんだから、もちろん、そのときもデリーの都市はポルトガルふうの建物でしたね。やっぱり赤れんがでやってましたから。
D 今も、ポルトガル的な文化に、非常に強いんですか。
貴島 あるかもしれません。リスボンふうの。僕はリスボンも2回行ったんですが、割に落ち着いていますよね。「哲学する町だ」と言って、喜ばれたことがあったけど。割合落ち着いているからいいんじゃないかなという感じがします。テイトン語の中にポルトガル語も大分入っているんです。だからやはりいろいろやってみるしか仕方がないでしょうね。意見を聞いてやりながら、やった方がいいような気がしますね。コソボあたりとは全然違いますよ。文化の程度が全く違うからね。
司会 ほかに御質問ありますでしょうか。それでは、セミナーの方はこれで終了させていただきます。この後別室にてコーヒーの御用意をさせていただいておりますので、お時間のある方は是非そちらの方にも御参加いただければと思います。本日は、ありがとうございました。
貴島 どうもありがとうございました。(拍手)
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