ところが、冷戦時代以降は、NGOは専門知識を磨いて、政府すら入手できないような情報を活動の現場から集めてくる。そういったものを政府に突き付けることによって、この問題というのは政府が独断で関与できる問題ではないんだ、この問題には市民社会も発言権をもっているんだという正統性を、徐々に獲得していくに至ったわけであります。
こういった政府さえ持ち得ない情報を入手しない限り、NGOには政府と対等に渡り合えないという考えが、自分たちの正統性を意識するなかで膨らんでいきました。そのように専門性が重要であるということを認識し、自己改革を進めてきたということが重要だと思います。
これはもちろん、NGOの現場での活動の積み重ねがあるからこそ、可能になったことであります。そういった地道な現場での活動が、最終的に政府をも動かす、これはオタワ・プロセスで実証されているわけですが、政府をも動かす大きな動員力となったと言えます。
3つ目の特徴ですが、ICBLを中心としたトランスナショナル・シビルソサエティーは、そのネットワークを最大限に駆使して活動を進めます。そして政府の国内外における矛盾を指摘してきたわけです。ICBLは、2番目の特徴として挙げた専門知識の集結という特徴を活かして収集しました情報や知識、そして経験といったものを、共有財産というかたちで、傘下の団体に分け隔てなく提供してきました。ですから、それぞれの国、例えば我々の日本のキャンペーンですとか、韓国、ドイツでもいいですが、そういった国で活動する1団体だけではとうてい集められない膨大な情報を手にすることができたわけです。これを可能にした背景には、当然ですが、インターネットや電子メールといった情報技術の普及が挙げられます。
90年代のコンピュータによる情報の収集・分配そして共有が、地理的に、そして物理的に地球に点在しているNGOや個人を結び、キャンペーンの活動を世界で同時多発化することに成功したわけです。世界で同時多発化するとはどういうことかと申しますと、例えば最後の条約の交渉が行われていたオスロでの出来事ですが、米国の交渉参加によって条約交渉が暗礁に乗り上げました。そこでICBLは世界のキャンペーンに対しEメールを打ちまして、「条約は今週末、(ちょうど条約交渉が週末にかかって、いったん中断されていた)を乗り越えられないかもしれない」との認識から、緊急アピールとして各国のキャンペーンにメッセージを送りました。