Jリーグが開幕した当時、華やかな報道が世間をにぎわせていたが、もともとJリーグ誕生の背景には、二つの思いが込められている。
一つは日本サッカーを世界のひのき舞台に押し上げること。この目標は、昨年行われたワールドカップフランス大会初出場でまずは第一段階を達成した。そして、二つめが、Jリーグを核として新しい地域コミュニティーをつくりたいという夢である。
「一九六〇年に初の日本代表ヨーロッパ遠征で当時の西ドイツに行った時、そこで地域に根差したスポーツ施設というのを初めて見て、びっくりしたんですよ。身体障害者の人たちも健常者と一緒にスポーツを楽しんでいる。まだ、日本では車イスもそんなに見ない時代でしたし、ショックでしたね。本当にすばらしいなあと」
その思いの発端を、現Jリーグチェアマンである川淵三郎さんが以前こう語ってくれた。
「地域に生きないから自分中心になって、人を温かく包んでやろう、カバーしようっていう社会にならない。そういう社会をJリーグは変えたいし、でも何か核がないと変わらない。だからその核にスポーツクラブがなればいい」――。
スポーツが嫌いな人でもそこに集まる仲間たちとお茶を飲んだり楽しいひと時が過ごせるように。単なる商業主義、サッカー振興だけをめざすのではなく、スポーツを通じて、日本の殺伐とした地域社会を変えていきたい――。その温かく力強い思いはまさに当財団の理念に同じ。これを少しずつでも形にしていこうと、「サッカーさわやか広場」の企画が広がっていった。
当財団でこの事業の企画責任者として活躍しているのは、社会参加システム推進グループの吉田旭雄さん。実は吉田さんは早稲田大学のサッカー部時代、川淵チェアマンと同じ釜の飯を食べた同期でもある。現在六〇歳、企業での経験も踏まえ、ボランティアスタッフながら事前の交渉、企画手配から当日の運営、進行役まで一人ですべてこなす。
「自分の得意とすることで何かできないか。サッカーが好き、そして子供が好き。だからそれでお年寄りと交流することができないかと考えた」という思いが原動力と語る。今なお心熱きサッカーマンなのである。