障害を持つ私と、未熟児で生まれたコーちゃんを見て重荷だというのなら、一生立ち直れないと思いました」
乳飲み子を抱え、一人放り出される不安はどれほど大きかったことだろう。ましてや、智子さんは外で働くことにもハンディがある体なのである。泣き暮らす毎日。だが、話し合いをすればするほど、心が深くえぐり取られるような思いをした智子さんは、ついに決断した。
「私と息子の人生は、自分自身で切り開いていってみせる」
人生は波乱万丈があったほうがおもしろい
それから一年半。今、智子さんは、両親の助けを借りて子育てをしながら、県の臨時職員として障害者福祉センターで働いている。障害者年金だけでは生活していけないと、自ら履歴書を持って、所長に直談判をして得た職だ。