日本財団 図書館


そのテーブルの奥に二人並んで座る。上位とされる、奥から見て左側には新婦が座り。新郎は下位である右側に座っている。先ほどおこなわれた親族への挨拶で、男性は上位の左側に、女性は下位である右側に座っていたのと逆である。日常の価値の優劣がこのときだけ逆転しているのである。新婦は、嫁入り後の十日間は、客として扱わなければならないので、この夜だけは、上位の席が与えられるのだ。

彼らの前には紅い糸でくくりつけられた向いあわせにつけられた二つの盃と二対の箸が置かれている。食事を始めるには、二人で協力して、これらを引き離さなければならない。盃を分けると、中から棗(なつめ)と氷砂糖が転がり出る。もうお判りだろう。棗は子宝、砂糖は二人の甘い生活を象徴しているのだ。そして、箸を結んだひもをほどく。この席に用意される酒は、赤ワインだ。これを新郎が注いで回る。最初に新婦の盃を満たす。そして相伴する六人の友人たちにサーブする。新婦は最上の客の扱いを受けているのだ。次に、新婦が全ての料理にかたちだけ箸をつけて、ようやく食事が始まる。偶数の尊重は、席を囲む人数から皿の数にいたるまで徹底されている。

食事がすむと、親しい友人たちが新郎新婦をからかいながら親密にさせる。閙洞房という遊びが始まる。これは寝室を賑やかにするという意味である。糸で釣り下げたリンゴを二人に両はじから食べさせたり、新婦の口に入れた飴を新郎が、やはり口でとったりする少々えげつないけれども、大変に盛り上がる。ひとしきり騒ぐと友人たちは帰っていく。(図27]28])

 

◎花嫁の里帰り◎

午前中、新婦の実家から、男性親族が数人訪れる。形式的には、娘が酷いあつかいを受けていないか確かめるためだといい、実際は、里帰りする新婦を迎えにきたのだ。婚礼の翌日から六日めの朝まで、彼女は早くも里帰りを許される。三日めまで着替えを許されない彼女は、ウエディングドレスのまま、ちいさなバッグを片手に門を出る。新郎の母親や姉が見送りにでる。このとき、すでにH家の人間になっている彼女は、「行ってきます」と言う。バッグには、形式的なものだと思いたいが、彼女の貞淑さを示す白い布が入れられている。これを見た母親は、三日め婚家に饅頭を贈ることになっている。そして彼女は、六日めに婚家に戻ってくる。そして十日めまでは、お客として扱われる。家事一切を取り仕切る主婦の役目はそれからだ。十日が過ぎると、上座でもてなされた客から、形式的にではあっても夫の下に置かれる妻を演じなければならなくなる。

 

◎宴の後◎

二日めの朝、花嫁が里帰りすると、村の幹部がやってくる。彼らを接待すると、宴は終わり。後片付けが始まる。皿を片づけ、提灯をはずし、中庭をおおっていた日よけも取り払われる。宴会続きでくたびれた親類たちも帰っていき、H家は大街門に残された喜聯以外は、いつも通り、静かな灰色の家になる。花嫁が六日めに帰ってきたとき、彼女はもう真紅に包まれた花嫁ではない。普段着を着た、ただの嫁になっている。しかし、婚礼の最中、彼女の頬をそめていた新鮮な棗のような紅色は、まだいくらか残っているけれど。これから彼女に期待されるのは、婚礼の最中くり返された、「早生貴子」のモチーフが物語るように、男子の出産である。そして、今後H家でおこなわれるであろう、日常生活はもちろんのこと、さまざまな儀礼の中で、彼女は、H家の嫁としての役目を学び、H家という空間の秩序を習得していくのだ。

<都市史・建築史研究>

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION