三輪は中・近世における両部神道の一大拠点となった地であるが、そこでの祓と同様と見られる作法がお水取りにおいて行われているわけなのである。
なお、お水取りの中臣祓においては、この巻子様の御幣が広げられることはなく、筒の部分を捧持して左右に振って自身に対する祓えを行うわけであるが、まさに神仏習合が生み出した特徴的な、仏具とも祭具ともいえるものなのである。
東大寺お水取りは、学侶より一段下の「堂衆」と呼ばれる階層の僧侶が中心となって行われていた。学侶が華厳・三論といった宗派の学問を専らにしたのに対し、堂衆は授戒を行い、修験的な活動を行うなど呪術的な行を行っていた。近年では両部神道に関わる活動に関わっていたことも明らかにされてきている(伊藤聡・松尾恒一翻刻、國學院大學蔵「神道灌頂授与作法」『堯栄文庫紀要』高野山親王院、平成十二年発行予定、解題参照)。両部神道においては、神祇灌頂や中臣祓・遷宮等さまざまな場面で御幣が重要な役割をはたす。咒師による大中臣祓や神供等、神仏習合的な作法が両部神道の影響下に形成された可能性が考えられてくるのであるが、こうした呪術的作法の源流、形成については依然として謎が多い。
<国学院大学助教授>