このような竹と木の幣串は、稲作と畑作の両方の民俗文化に用いられながら、竹の方に、焼畑、畑作に関わる大地の民俗文化との関連がより濃く感得される。
◎IV 御幣の使用形態◎
一般に御幣を用いる場合は、地面に立てるか、祭場に置く。だが、幣を立てたりする場合でも、そこには幣のもつ機能に応じた特色のある形態もある。山陰地方には他界観に基づく古式による例も少なくない。
囲み型
【事例】島根県八束郡鹿島町の佐太神社では旧十月の神在月に、龍蛇を依り代として海彼より迎えた多くの神々を、現在は十一月二十五日の日の夜、暗闇のなかに厳粛に送る。神社での神事のあと、二キロメートルほど後方の日本海を望む神目山頂上に、神職、総代、参列者が、無言のまま、灯りを点け、多くの御幣と供物などを持って赴く。頂上の高天原という祭場には、御池(水のない空池)の周囲に十二本の土幣という御幣を放射状に、囲むように立ててシメ縄を張る。(写真22])この中央に持参した船を置き、榊を立てると、神職は「水夫(カコ)」を三回唱えて大地にひれ伏して祈る。続いて奉幣を行ない、供物の一夜御水(いちやごすい)(粥(カユ)状の酒)をいただいて下山する。こうして神々は、もとの場所にお帰りになると伝えている。
【事例】同県隠岐郡西郷町中村の大峯祭りについては、先に記したが、ここでも、山上で御幣を囲むようにして立て、神々を送る。(写真23])翌年正月に、海辺の天王祠から神々を迎えて客祭りを行なう。海から潮草(海藻)を採って迎える。このふたつの祭りを一連のものとして行なっている。
【考察】海彼から神々を迎えて祀り、これを山上で送るのであるが、このとき御幣を囲むようにして立て、そのなかに舟を置く。
これは籠りと再生、復活、鎮送という儀礼を象徴するものであり、そこに神々と参加する人々と一体化した様子が感得されるが、併せて海(アマ)の彼方から迎え、水夫と唱えつつ舟に託して神々を山項から天(アマ)の彼方に送るなどという伝承をとおして海と山と天のつながる円環の論理が内在して流れているように考えられる。その媒介をなすものとして御幣のもつ意味は、大きい。
このような御幣を囲むようにして立てて神々を送迎するものとして榊と御幣と青柴などで囲む美保神社の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)、諸手船神事(もろたぶねしんじ)(写真24])あるいは鳥取市加露や島根県江津市で行われるお舟神事を挙げることができる。
突立て型
【事例】島根県簸川郡佐田町毛津の十一月に行なうミサキダチ(御崎立)神事については、先に挙げたがこの神事は氏神毛津神社の祭祀に続いて行われるもので、神職は境内で湯立て神事を行ない、そのあと、この湯立ての笹などで拝殿に吊してある藁蛇と宝刀を祓い清める。神職はその宝刀でタツ(龍)という藁蛇を「削る、削る」と唱えつつこれを切る所作のあと、神職と当番総代が交替で「…のミサキ」と地区内すべての家の屋号や小祠、辻々の名を挙げこれのあとにミサキをつけて呼び掛け合う。そして幣をこの藁蛇に突き立てるようにして(写真25])そののち地区堺の荒神の神木に巻きつける。
【事例】安来市和田の年末に行なう荒神祭りでも、藁蛇を切る所作のあと、幣串をこれに立て、神木に巻きつける。