一応、悔しそうな顔をしてはみせるが、どう見ても負けた方が嬉しそうなのだ。
さらに夜が更けると、ゲルの中はもう身動きのとれない程の人でいっぱいになる。「何か歌を。」と、頼んでも、みんな恥ずかしがってなかなか歌い出さない。私がケースからクラリネットを出し、少し吹き始めると、何人かが、「じゃあ、みんなで一緒に。」と、やっと歌い出した。それでも、あまりモンゴルっぽくはない。最終的に、我々の共通の歌が、ロシア民謡である事を発見。「カチューシャ」「トロイカ」「ステンカラージン」と歌声は止まらなくなっていった。小用をしに表に出ると、隣のゲルでは、まだ女性たちが牛乳を沸かし、掻き回して、ウルムやチーズ、酒を造っていた。
我々、コマッチャクレズマの草原でのメインの仕事は、子供たちの競馬大会の応援団といったところだ。もちろん、着いて草々、ウランパートルの大ホールで、チンギス・ハーンという地元のグループとジョイントでコンサートを演ってきたのだが、ここでは馬に乗る事意外に何もない。
本番前に何となくみんなでプカプカ演っていると、物凄い数の馬が集まってきた。さすがに大きな草競馬だ、と感動していたら、「しばらく演奏をやめてくれ。」と人が飛んでくる。どうやら、音に興味を示して、放牧している、競馬とは無関係な馬たちが、集まってきてしまったらしい。慌てて牧童たちが馬を連れにやってきた。
競馬のスタート地点は、我々からは見えない。いったい何キロ先から飛ばして来るのだろう?ゴールには、旗が立って大人たちがうろうろしているだけだ。静まり返っている。真夏の太陽が照り付けているというのに、ちっとも暑くない。風に乗ってハーブの香りが漂ってくる。ここの草は全てハーブ。馬糞から牛糞までハーブの香り。そのハーブだけを食べているのだから当たり前の話で、それらを燃料として燃やしても、やはりハーブの香りがして、全く臭くない。コマッチャのメンバーの関島君や、芳垣君等は、「この馬糞を輸入して、『馬糞香』と名付けて売り出そう。」と、真顔で相談している。
暫くして地平線に土煙が見えると、そのあとの展開は早い。子供たちに操られた何十頭もの馬は、素晴らしいスピードでゴールを目指して駆け込んでくる。どどどどどっと地面が鳴り響く。我々も負けじ、と演奏を始めるのだが、たかが六人編成のアコースティック・バンド。どこにも共鳴してくれる壁も山もない悲しさから、音楽はけっして気持ち良くは響かない。夜にホーミー(モンゴル、トゥパの独特な唱法。ひとりで声を一度に二つ以上出す。)の練習をしたら、遠くのゲルの犬が吠えた。だから、ここでの音はいくらでも、きれいな空気を伝わって遠くまでのびてゆくのだろう。でも自分の耳には帰ってこない。いくら日本では音が大きい、と迷惑がられるサックスやチューバでも、この草原にあっては無力だ。ホーミーや口琴といった。どちらかというと自分自身に聞かせる音楽が、発達していった事が分かるような気がする。
大きな自然を前にすると、自分の外側と内側、といった事を意識する。自然という大きな外側に対して、等価値な自分という内側を認識するための音楽が必要になって来る。ホーミーや口琴は、自分の口の中や、頭蓋骨に共鳴させて倍音を造り出す事によって、自分の体の中に一つの宇宙を作ってしまう。
風や自然の奏でる音に対しての倍音。これらの音楽は、常に大きな自然を相手に戦い、共生している民族に共通しているように思われる。アイヌのムックリ、アポリジニィのディジャリドゥ。そしてイヌイットの場合には、向き合って、相手の口の中に響かせるという唱法を持っている。
平原からほんの小さな丘の斜面になり、馬が足を緩める。つま先はどうにか鐙を探り当て、私は大きく息を吸い、それと同時に風景や匂い、音が戻ってくる。みんなの顔にも笑顔が戻り、互いに声を掛け合う余裕がうまれる。この状態なら馬頭琴(ネックに馬の頭をかたどった、弓で引く弦楽器。草原のチェロと呼ばれる。)の奏でる乗馬の風景の音楽も、容易に理解できる気がする。
以前、「車を二〇〇キロ近くで飛ばしている時には、『トップガン』とかスクエアのフュージョンがあうんだよね。」と、知り合いのスタントマンの人から聞いて、妙に納得した事があったが、私は馬で疾走している時にはただ一つの音すら思い付かない。この時に浮かぶ音楽を発見するまで、きっと私にとってモンゴルはまだまだ未知の土地なのだろう。私の走っている時の音楽といえば、せいぜい自転車どまりなのである。
<ミュージシャン>
※この文章は97年の「大地を守る会」のモンゴル・ツアーに、国際交流基金の助成を受けて、「コマッチャクレズマ」という6人編成のバンドで同行した時の模様です。
前ページ 目次へ 次ページ