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四個の寿頭(小さめの饅頭)をのせた皿三枚。粟を入れた椀(あとで線香を三本挿す)。紅いろうそく一本。のように置いていく。これらを全部並べ終った頃には、昼時だ。

4正午のまつり…正午になると、線香三本に火をつけて、軽く三拝してから粟に挿す。ろうそくにも点火する。

5土に供物を食べさせる…完全に暗くなったころ、それぞれの供物を少しずつ分けて土にかける。つまり、土に食べさせているという。その後、線香とろうそくを挿して点火する。

6土をかえす…家族揃って土の入った椀、位牌、線香、ろうそくを持って城壁へ向かう。途中大勢の人に行き会う。早朝に自分で掘った穴を見つけると、土をうめかえす。そして位牌、線香、ろうそく、を立てて三回叩頭する。その後位牌に点火する。

7翌日以降…土の入っていた椀を三日間、祭壇に伏せておく。

常に住まいを見守る土地堂

前号で紹介した土地堂も忘れることはできない。土地爺をまつる土地堂は、ときには、護衛の門神を従えて、二街門から外院に向かってにらみをきかせ、常に家内の安全を守っている。土地爺といっても生誕日には、誰も土地堂に見向きもしない。ここに供物が捧げられ、線香があげられるのは、過年節(年越し)のときだけだ。どうやら、同じ名前で呼ばれても、神格がちがうようだ。

 

住まいの空間は、謝土という土地神へのまつりによって開かれた。土地神が見守っているからこそ叶えられる家内安全は、日頃姿が見えないために忘れ去りがちだけれども、生誕日の儀礼をおこなうことで再び確認している。その一方で、土地堂にまつられる土地爺は、常に悪鬼が住まいに入り込まないように目を光らせている。つまり住まいは、二重の土地神の加護のもとにあるといえよう。

 

◎祖先たちの住まい、墓地にまつられる后土神◎

墓は、祖先たちの住まいであるといわれる。墓の場所や方角の善し悪しや、欠かさず墓参をおこなうかどうかで、祖先たちの良いエネルギーが子孫にもたらされるか否かが決まるという。平遥の墓地は、畑の中に点在している。基本的には、土地改革以前の所有地に埋葬することが黙認されている。大都市では火葬が義務づけられているが、平遥ではいまだに土葬だ。そして、葬儀でも伝統的な方法をみることができる。

さて、墓地に故人を埋葬するときも、そして墓参のときも土地神がまつられているから、その様子を紹介しよう。

后土に墓の保護を願う

葬儀の一連の儀式は長く複雑だから、今回はほとんどを省略して、墓地における后土へのまつりの前後だけに注目する。

墓穴に棺をおろして、ブロックと土でふたをすると、故人の足もとに向かってやや低くなっていく直径三メートルほどの土饅頭ができる。そして足の上あたりに墓標がわりの楊流を植える。その上に親戚や友人から贈られた花環をのせる。さて、ここで儀式をおこなうのは息子たちだけだ。女性や親戚は、葬式行列の途中で引き返している。儀式がおこなわれているあいだ、チャルメラや胡弓を中心とした楽隊が葬式用の演奏を続ける。

まず、息子は墓に向かって右奥で后土をまつる。四つの供を供え、陰界での通貨である紙銭を燃やす。それに白酒をかけて消した後、三本のバラバラの線香を持って、三回叩頭する。それが済むと、墓の前で故人をまつる。手順は后土に対するのと同様だが、三本の線香はつながったものを使う。そして叩頭は四回捧げる。神に線香をささげるときは必ずばらしたものを、鬼(亡くなった人は鬼と呼ばれる)にはつながったものを使うのが決まりだ。叩頭の数は、生きている人には二回、神には三回、鬼には四回と決まっている。

このように、まずは、后土に墓の保護を願うことを要としている。(図11]12])

清明節の墓参

春分の四日後は清明節といって男性たちは墓参におもむく。墓地に赴く日も細かく決められている。当日は、両親ともに亡くなっている場合。前後一日は片親は存命の場合と、前年に亡くなった人がいる場合。前後二日は若くして亡くなった人の場合、となっている。

 

 

 

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