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黄色は、中央と土をあらわす色である。土地爺の生誕日にも同じものが使われる。捧げられる供物は、五種類の野菜中心の料理、五種類の動物をかたどった模模と呼ばれる饅頭、五杯の白酒、二つのゆで卵である。そして、三本の線香と一本の紅いろうそくが用意される。

祭具の準備が済むと儀式が始まる。儀式は正午ぴったりに始めなければならない。家の主人は、まずろうそくと線香に火をつける。そして供物を少しずつ土に振り掛ける。そののちに、線香を持って三回叩頭する。さらに、羊を絞めてその血を建物の四つ角に振り掛けることもあるという。こうした一連の儀式が終了すると、爆竹の音とともに家財道具が運び込まれる。このような、土地神への儀礼を経ることによって、住宅建築はようやく住まいの空間として息が吹き込まれるのである。(図7])

建築儀礼のヴァリエーション

さて、今みてきたような儀礼では、土地神しかまつられていないけれども、図8]のような位牌を使って、北斗星君のような星神や、青龍白虎のような方位神をまつることもある。中でも中溜神に注目したい。中溜神は、中央をつかさどる神だという。同時に、后土、すなわち土地神の性格ももっている。儀礼のときには敷地の中央にこの位牌をたてるという。また、起工に先立って、敷地の中央に、呪物を入れたつぼを埋めるという人もいた。

 

◎土地爺生誕日◎

住まいの空間は、土地神に見守られて誕生した。そして、この場合は土地爺と呼ばれる土地神の生誕日が巡るたびに、一年間の家内安全への感謝をあらわし、これからの一年間の無事を祈りをこめて儀式がおこなわれる。

平遥での土地神の生誕日は、農暦(太陰暦)の一〇月一五日である。太陽暦よりおよそ一ヵ月おくれるので、今年は一一月二二日にあたる。さて、土地爺の生誕日は、通説では二月二日とされている。しかし、その地方に功績を残した人が土地爺に奉ぜられることもあり、各地でまちまちのようだ。しかしながら、平遥ではその種の言い伝えがないので、平遥の土地爺の生誕日がなぜ一〇月一五日なのかはわからない。『平遥県志』(光緒八年)には、城隍の生誕日が一〇月一五日とあるから、あるいは土地爺と城隍が混淆しているのかもしれない。

儀礼の過程

それでは、土地爺生誕日におこなわれる儀礼の様子を一九九六年に観察した事例で追っていこう。(図9]10])この家庭は三十台後半の若夫婦と二人の子供で構成されている。

1位牌の準備…儀礼の準備は、前日の晩に家の主人が位牌を書くところから始まる。黄色の紙に黒い墨で「奉供土公土母土子土孫諸神之神位」と書く。他にも父が翁に変わるものや「奉供九壘高皇大帝土府土翁土母土子土孫一切衆土君老爺之神位」などさまざまなバリエーションがある。現在、位牌や供(供え物用の饅頭)は、店で買うこともできる。

2土を勧進する…当日の早朝、椀に土を盛る。土であれば、どこからとった土でも良いとされているが、城壁の内側の土を利用することが多い。横穴状に土を掘って椀に入れて持ち帰る。晩になったら、土を戻しにこなければならないから、自分の掘った穴の場所は必ず覚えておく。持ち帰った土に、位牌を挿し、祭壇にしたテーブルに置く。

なぜ城壁の土が使われるのだろうか。まず中庭をペイブしてある住宅では敷地内で土が調達できない。また、住宅の面する街路が土だとしても残飯や屎尿で汚れている。さらに、こじつけのようだが、城壁の土と城隍との関係も言えるかも知れない。

3供物の準備…午前中、奥さんは供物の準備に忙しい。この家庭では、全ての供物が手作りだから、饅頭を蒸し、卵をゆで、引き出しにしまってある祭具を探し、そのかたわら子供の世話もしなければならない。できた順に祭壇にしたテーブルに順序正しく並べていく。

祭壇には、どんな供物が並んでいるのだろう。テーブルの奥側から順にみていこう。早朝に城壁から削り取った土の入った椀。そこには昨晩用意した位牌が挿されている。その上にはゆで卵と鶏、豚、魚をかたどった模模(饅頭)を置く。下に銅銭を敷いた供(大き目の饅頭)を五個。白酒を入れた盃五個。五種類の野菜のおかず(土地は菜食だそうだ)。

 

 

 

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