その付近は江戸時代には揚げ浜塩田であったという。漁港の南側には生口島、生名島へ渡るフェリーの乗り場があった。
箱崎漁港の船溜りには何隻もの漁船が係留されていたが、その中の一隻の船のトモに釜が裏返しに置かれていた。船に張られた日よけのテントの下で老婆が一人坐り込んでいるのが見えた。その人が箱崎きくのさんだった。彼女は、これは自分の船であると言った。それも彼女が一人でそのディーゼル漁船を操って、漁に出ているというのである。思わず耳を疑うような話であった。
きくのさんは、
「ここは暑いけん、兄さん、家にあがってお茶でも飲まんかね」
と、仕事の手を止めて立ち上がった。私の肩までの背丈しかない、小柄な体だった。きくのさんの家は港から山までの間のごく狭い空間にびっしりと建て込んだ家並みの中にあった。港から山際に向けて延びる路地の入口付近にある長屋建ての一つ、間口二間の二階屋であった。引戸を開けると、土間があり、その左手に粗末な流しがあった。土間は一畳ばかしの広さで、その奥に六畳ほどの部屋が続いていた。流しの脇に二階に上がる階段があり、二階は六畳ほどの座敷になっている。小ぢんまりとした家であった。二階の方が涼しいというきくのさんに促されて二階にあがり、きくのさんの話を聞いた。
きくのさんの話は思いがけないものだった。