日本財団 図書館


012-1.jpg

伊能忠敬・御手洗測量の図(呉市入船山記念館提供)

 

その家並みを山側に入っていくと、萬舟寺という石垣の立派なお寺がありまして、その境内に松尾芭蕉没後百年を記念して建てた句碑がありました。それが「海くれて 鴨の声 ほのかに白し。」まさしく御手洗の風待ち潮待ちの港町にふさわしい芭蕉の句でした。私はその句を選んだ御手洗の俳人のセンスに感服しました。御手洗は京や大阪のような文化都市でもないのに、よくもこのようなセンスを持った人たちが日本にいたのですね。庶民文化の中にかなり高いレベルの文化が蓄積されているんですね。豊町史編纂委員会の片岡智さんによると、伊予の俳人から指導を受けたそうです。

沖浦…私も調べまして『瀬戸内の民俗誌』(岩波新書1998)に詳しく書きましたが、御手洗というところは新興の港町で、古くからの港の大長(おおちょう)の出作り地だった。元禄のころ何もなかったところです。幕末のころの御手洗には二、三〇〇軒ありましたが、享保年間から作られた町です。

というのは、沿岸部の港から港へ渡って行く速度が遅い地乗り航路は、船も帆も小さくて沖合を走れなかった。すぐれた木綿帆が朝鮮から入ってきて、船の大型化が進みます。いわゆる「北前船」で千石船です。大型で快速船ですから地乗り航路は通りません。沖合に出て高い浪を切りながら真ん中を走るのです。風と潮で走りますから、風が凪いで潮が止まった時は走れない。

それで「風待ち港」「潮待ち港」が必要になってくる。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION