柱立てと再生……井本英一
◎一体化した柱と梯子◎
古代エジプトにはジェド柱という柱があった。古代絵画から柱の形が分かっている。本体は木質の柱であったらしい。ある絵画は柱の前面に梯子が立てかけてあるようなジェド柱を伝えている。石棺の底に描かれた別の絵画では、柱の中ほどの所から冥界の主神オシリスが顔をのぞかせている。高さ一一センチほどの石の護符もある。いずれのジェド柱も、上部に四段、円盤をはめたような形をしている。
柱と梯子が一体化したようなジェド柱は、最下部の円盤の付け根から、右手に殻竿(からざお)(連枷)、左手に曲杖をもったファラオの両手が出ている。オシリスが顔を出したジェド柱もあるので、ジェド柱はファラオの再生儀礼で用いられたことが分かる。ファラオは毎年、年末になると体力的にも精神的にも衰弱し、ファラオの身体が連動する宇宙と同じように死の状態になる。観念的には、ファラオは死の世界の王オシリスになる。新年に柱を立てることによって、ファラオは再生した。
アビュドスにあるセティ一世(前一三世紀)の壁画では、セティはオシリスの妻イシスの助けを借りて、ジェド柱を立てようとしている。
2]セティ一世がイシスの助けを借リてジェド柱を立ててる
M・ルルカー著、山下主一郎訳 『エジプト神話 シンボル事典」 大修館 1996年より
このジェド柱の柱頭には、二枚の巨大な葉型とも羽型ともいえるものが付いていて、柱が上部で二つに分岐している感じである。オシリスとその兄弟セトを象徴する秩序と混沌の二元論的表象であろう。絵によっては三つ付いたものもある。
神話では、オシリスはセトによって殺害されたあと、身体は一三の部分に寸断され、箱に詰めてナイル川に流された。箱はレバノンに漂着し、オシリスの肉片は海岸の木の幹に入って木と共に成長した。妻のイシスは夫の肉片を見付け出し、エジプトに持ち帰って夫を再生させた。この神話から、海岸の木はヤシの木であったらしいことが分かる。ジェド柱とその上部についた四重の輪は、ヤシの木の幹と上部の葉を表わしたと考えられる。後の時代の石棺の底にはジェド柱を描いている。死者がオシリスにあやかって再生することを願ったものである。ジェド柱には、オシリスとイシスの子である再生した神の子ホルスが顔を出したものもある。
ジェド柱は新年や王の即位式で立てられた。柱を立てることによって、亡くなった王が再生し、再生した王が新王に化現すると考えられた。即位した王は三〇年を経過するとセド祭り(王の祝祭)を祝った。このとき王は始原に戻り、ジェド柱を立てて再生した。王たちの中には、在位期間が三〇年に満たない者も多くいたが、柱を立てて始原に戻り、王権の永続を図った。後にギリシアで発見された、八太陽年あるいは九九太陰月から成る八年周期で太陽と月が出発点に戻るメトン法とは別に、三〇年で太陽と月が始原に戻ると考えたようである。エジプト人は、三六〇太陽月と三七一・五太陰月が同周期であると考え、三〇年ごとに一一か月と一二か月の太陰月の閏月を交互に入れる太陰太陽暦を用いた。
セド祭で、王は二つの石積みの間を走った。石積みにはジェド柱あるいはジェド柱に発達する以前の木柱が立てられた。二つの柱はそれぞれ生と死を象徴した。ジェド柱の起源は不明とされる。しかし、ジェド柱には二元論的な表象があるので、エデンの園にある生命の木と善悪を知る木のような生と死を表わす木であったといえそうである。