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だから四本整然とその体の中心部から屹立している巨大木柱は、海上の舟から灯台のように一目で判る目印としての巨大な建造物であるというだけのものではなく、縄文人のヴィジョンの中のその他界空間と結びついた通信回路の生命の塔であったのであろう。

 

◎意識の深海に垂鉛を下した新石器時代の存在論◎

ここで話は飛んでしまうが、少年時に私は何かの拍子に突然「おまえは厚東川(生まれたところの近くを流れている川)の橋の下で拾ってきて、養ったのだ」と母から秘密めかして言われ、ギクリとした覚えがある。それを聞いた瞬間、いままでの幼い人生全体が猛スピードで回想され「やっばりそれは本当のことだったのか」と妙に納得し、その時世界が今迄と違って見えた印象をもったことがあった。そのような捨て子幻想は何に由来するのだろう。

そのような体験は誰でもあるらしい。千葉徳爾氏によると、「橋の下」あるいは「川」で拾ったというのと、「海辺」で拾ったという地域によっての差はあるけれど列島全体におよんでいる。ほとんどの人が幼少時に体験した自己の貴種流離譚だったのだ。

この子供にとって恐ろしい魔のささやきは、例えば豊玉姫伝承などの新石器時代以降えんえんと続いてきた大いなる物語の断片が、今もこの列島に生き続けていたことのあかしだろう。ほとんどの人がいまだ「お前は渚に置き去られたナギサ彦だよ」と言われ続けていたのだ。その伝承の永い途上で、その生命の源泉である他界空間の海宮や根の国や、常世やニライ・カナイなどのヴィジョンが消え失せ、そして私を生んだもう一人の母親(類的母)の鮫や龍(紀の一書)などの怪獣の姿をもった他界身のヴィジョン喚起力が失せ、たゞたゞ渚に置き去られた嬰児の姿だけが切り離されて、現在まで伝承されていたのだ(沖縄だけはまだその力をもっている)。

お前は、実在の母親の胎内から生まれた子供である。だが類的には海底でもう一人の鮫の母から生まれおち、渚に置き去られた存在であることを忘れるな。われわれの現世の身体は何処からやって来たのか、今何処に居るのか、そして、何処に還って行くのかという存在の深き問に豊玉姫伝承のヴィジョン喚起力は強力であり正確である。現代の科学が究明した三八億年前の海底での生命の誕生、進化途上における魚類のデボン紀における上陸、両生類、爬虫類そして哺乳類の生成から人類の誕生に至るまでの生命誌を、ヴィジョンに変換した形で一挙に演じてみせてくれる。その場所が海岸の渚線であるというのが意味深長である。系統発生の生命の発生地である海底は生命の源泉の故郷であり死者の霊が行く他界空間である海宮(わたつみ)に変換し、進化途上の軟骨魚類であり、性交し卵胎生する鮫は類的な母の他界身の姿となり、渚に草にくるまれて置き去られた嬰児は類的な自己の誕生の姿となって示される。そして死者は一定期間の後、ヒスイと鮫と一体となった祖霊(先祖になるのではなく進化の時間を遡って怪獣性を帯びた異類の祖霊となる)となって巨大木柱をつたって還って行く。この生誕と死の大いなる円環構造は新石器時代のイニシエイションに行われた存在の教えであろう。

「お前は渚に置き去られた秘密の母をもつ捨て子である」というささやきは、そんな新石器時代以来の深い意味をもった人間存在の遥かなる告知だったのである。

<縄文図像学>

 

参考文献

『史跡 寺地遺跡―新潟県西頚城郡青海町寺地遺跡発掘調査報告書』 新潟県青海町 一九八七

寺村光晴 「新潟県寺地硬玉遺跡」 月刊文化財121号 一九七三

藁科哲男 「ヒスイを科学する」『古代翡翠道の謎』 新人物往来社 一九九〇

千葉徳爾 『女房と山の神』 堺屋図書 一九八三

図版出典

図1]レナルト・ニルソン 『生誕の神秘』 小学館 一九九二

図2]・図3]左・図5]・図6]『史跡寺地遺跡』

図3]右ヘッケル 『自然創造史』

 

 

 

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