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◎選ばれた二つの集団◎

一般の氏子主導の体制で行われる現在の祭りにおいても諏訪神社上社の御柱祭には、古来より神官よりも中心的な存在であり、特別な役目を負った二つの集団が認められる。その一つが茅野市玉川神之原の「山作(やまみ)」と呼ばれる人々(八軒)である。山作の八軒という数は御柱一本に付き一軒ということであろう。

 

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見立と伐採が行なわれた御小屋山(背景)と曳行される御柱

 

山作の起源は明らかではないが、その名称の現れている最古の記録は天正六年(一五七八)の造営帳に「山作・原衆」、又は「原之山作」とある。

先述の御柱御用材の選定に始まる一連の奉仕のなかで、この一団は主要な役目を負って終始御柱と行動を共にしている。その仕事の主なものをあげてみると、御柱木を調達する御小屋山の監視の任務と、その山に鎮座する「御小屋明神(祭神建御名方命)」への奉仕、御柱の見立てとその伐採、そして五月の上社里曳き祭初日においては、「御船(おふね)」を担ぎ、「朱塗りの神斧(かみおの)」とともに御柱屋敷から曳き出された御柱を迎えに行き、本宮まで先導する。「御船」は現在は本宮で作られるが、本来は神之原の七社明神社において、これも御小屋山で取った小枝で船形を造り幕を張る。そこから神斧と共に出立し、里曳きの御柱を先導して来たのである。

 

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御小屋明神の祠に置かれた「神斧」(左に柄)と「おね鎌」

 

御柱の祭りに際しては、山作衆は常に「朱塗りの神斧」(元禄五年大祝諏訪頼隆寄進。それ以前は古い斧を焼直して山作自身でこれを作った)を携えていて、この神斧は山作衆を象徴するものとなっている。

上社の例として、本宮および前宮境内の所定の位置に曳き付けられた御柱は、いよいよこれから建てられるという直前に、御柱の先端を山作が神斧で三角錐に削り落とす。

 

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里曳きの途中、川も渡らねばならない川越し

 

 

 

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