5]コトゥワルから運ばれた水を注がれ、魂を吹き込まれたマッチェンドラ神像が僧侶の手によって山車に運ばれる
そして林の中に祀られているマッチェンドラの母や兄弟を表す石に犠牲の血が棒げられ、一行はコトゥワルを去る。
聖なる水壺はマリニの娘の腹に布でしっかりと巻き付けられ、葬送時の音楽を演奏する楽隊とともに寺院へ行進する。壺で膨らんだ腹は、まるで子供を孕んだ女が親の死を悲しみながら歩いているかのように見える。
そうして周辺を徘徊する悪鬼や悪霊たちの目をごまかし、水壺が無事に運ばれるようカムフラージュしているのだという。
水壺は僧侶と祭主によっても運ばれるが、祭主の水は通り抜ける村々で待ち受けていた人々の頭上にまかれ、祝福を与えながら進む。
およそ一五キロを裸足で駆け抜け水壺を運んできた娘と僧侶は、寺院の中で二つの壺の水をあわせ、マッチェンドラの神像にかける。ここにようやくマッチェンドラ神の本当の魂がうまれ、神像が寺院から山車の上へと移されるのである。
天に向かって聳える山車は常緑の枝葉で覆われているが、中には、十六本の細い木柱が立てられている。それは龍神の姿。地中の水の力を司る龍神によって吸い上げられた水は、巨大な山=<柱>を通って天に昇り恵みの雨を降らす。豊穣を生み出すダイナミックな、命の水の構造が見えてくる。
山車の巡行が開始され、モンスーンを呼ぶ祭りはいよいよクライマックスを迎える。人々の祈りと祝福を受けながら街を一周し、山車が最終地点に到着するその日に、雨が降り始めるのだという。
水壺を孕んだ娘……それは、厳しい環境と険しい地形が続くヒマラヤの国で、唯一気候が温暖で平坦な大地が広がるカトマンドゥ盆地の、豊かさの源であったのだ。
ラトマッチェンドラ祭で曳かれる山車はラタと呼ばれ、パタン市プルチョウクの道端の窪みに祀られている土着の女神が宿る聖所、ピタの真上に組み立てられる。ピタは山車が作られる間は、毎日深夜に僧侶によって儀礼が執り行われ、巡行中はいずれもピタがある場所で数日間ずつ停泊する。