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ネパールの柱祭り……寺田鎮子

ネパールはインドとは低い山脈を一つ距てた所に位置しており、インドで失なわれた文化の保存庫の役割を果たしているところがある。その最たるものが仏教であるが、柱を建てる祭りも、その一つなのである。

柱建立の儀礼は、かつてはインド亜大陸に広く存在していたと考えられる。というのは、現在のインド文化を概観してみても、柱を建てる祭りそのものは報告されていないのだが、多くの文献には記述が見出されるからである。古いところでは『リグ・ヴェーダ』や『アタルヴァ・ヴェーダ』に祭柱に関する記事があり、大叙事詩『マハーバーラタ』や演劇論書『ナーティヤ・シャーストラ』にもインドラの旗柱を祀る記述がある。六世紀の『占術大集成(ブリハツト・サンヒター)』は旗柱の建て方、意味と同時に前兆占いについても記す。ヒンドゥー教の聖典であるプラーナ文献にも、インドラの旗柱を建てることの起源譚やその功徳について説かれている。

このようにその存在が少なくとも文献上では予測される柱建ての祭儀が、現在ほとんど見られないという理由は、この祭儀が王権に関わるものであるからではないかと、私は考えている。北インドのイスラム王朝支配と植民地を経て共和国となったインドでは、このような儀礼が残存する余地がない。わずかにオリッサ州プリーのジャガンナート山車巡行祭およびスリランカのインドラ・キーラ建立祭に、その俤が偲ばれるのである。

ネパールにおいては、かつて割拠していた各地の小王国の都に残っており、また近隣のチベットや西南中国にも見られる。このように南アジア地域に広範に分布していた柱建ての祭儀が互いに関わりがあるか否かは、今後の研究にまちたいところであるが、ここでは現在も盛大に行われているネパールの三つの柱建て祭りについて報告したい。

 

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ネパール王国力トマンドゥ盆地。ここで三つの大きな柱祭りが行われる

 

◎カトマンドゥ盆地の柱建て祭り◎

柱建て祭りが毎年、大規模に行われるのは、カトマンドゥ盆地においてである。初秋、主としてカトマンドゥの旧王宮広場を中心に行われるインドラ祭はもっとも広く知られ、観光客も多数集まる国家的な盛儀だ。しかし柱建て祭りはこれだけではない。盆地の東に位置する古都バクタプルにも、四月の新年を期して行われるビスケート祭がある。これは整然と管理されたインドラ祭に比べ、格段に原初的エネルギーに充ちた祝祭である。

また、カトマンドゥからバグマティ川を距てた隣町パタンには、高々と山鉾を立ち上げた山車が巡行する春のマッチェンドラナート祭がある。屹立する山もまた柱であるとする立場から、この祭りも柱祭りであると考えたい。この点については後述するが、いずれにしろ中世マッラ王朝期には小さな都市国家であった三つの街に、それぞれの柱建て祭りが今もなお行われていることに注目したいのである。

三つの祭りは柱建てという外見上の要素は共有しているものの、時期をはじめ次第、内容には独自のものがある。柱建てを中心として展開するネパールの豊饒な祭儀の世界を概観し、柱を建てることの意味を考えてみたい。

 

 

 

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