図1]朝鮮朝の儀式に用いられた武器のひとつ蓋(ケ)。青蓋、紅蓋、黄蓋、黒蓋があった(李煕昇編『大辞典』)。秋葉の記した華蓋はこれらをひとつにまとめあげたようなものであったことが知られる
蓋が敵に向けての武器だとするなら、江陵の華蓋にもその性格があってよい。果たして、華蓋にはそうした伝承があるのだろうか。秋葉は華蓋にまつわる伝承を三つあげている。
1、異斯夫(イサブ)(六世紀の新羅の将軍)が干山国を攻めたとき、重い棒を海岸に置き、みずからは軽いものを振り回して敵を驚かした故事に由来するというもの
2、死後山神となった金庚信(キムユシン)が賊を退却させたときに用いた差し掛けの傘だというもの
3、華蓋の頭部につける金属の飾りは泛日国師(ポミルククサ)の錫杖の頭を模したもの。この国師は壬辰の乱の際に日本軍を斥けた傑僧である。
これらを通して推察されることは、華蓋の威力が並大抵のものではなかったということである。ただし秋葉は、「神聖なる蓋」の本来の性格をつかみ損ねていた。漠然と山神信仰の「くづれ」だといい、また男たちが蓋を立てたときは「必ず之を上下に振ることになって居た」といいつつも、これを「降神の震動」と解しただけであった。
わたしは、この華蓋は単なる降神のための柱ではなかったと考える。結論からいうと、これは朝鮮における生命の樹であり、これを立てることは根柢から崩れてしまった秩序を立て直すことだったのである。
そのようなことはどうしていえるのか。はじめに周辺的な理由から記しておきたい。
第一に、江陵の端午クッのときには神木が大関嶺から伐っておろされ、これは華蓋とともに持って回られる。従って、山神は華蓋に降りる必要がない。また神木はカミの依代ということであり、降神の木を振り回して敵を斥けるといった伝承は普通はみられない。
第二に、秋葉によれば、華蓋は行進するときに捧げられ、このもとでクッや仮面戯がおこなわれていること。それはいわば祭祀の場を提供するもの、つまり祭祀の舞台を象徴するしつらえであったということを意味している。
第三に、秋葉は、華蓋を捧げ運ぶと年中無病幸福と信じられていると記しているが、これもソナン神や山神を降神させる竿にはみられない伝承である。
以上のほかにわたしはより根源的な意味で中国の「華蓋」に注目せざるをえない。実は中国の華蓋はまざまな変奏を奏でつつ近代にまで伝承されていた。
◎中国の華蓋◎
中国の華蓋は黄帝の伝承にかかわっていて、これがさらに建木(けんぼく)の花を象ったものといわれている。斬之林(シンジリン)は、中国の生命の樹の神話伝承からはじめて現代的な図案、民俗に到るまで、夥しい事例を提示したが、そのなかで華蓋については次のように述べている。