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その奥の呼称のない6畳の部屋は、東壁面に押し入れが設けられている。

ザシキは8畳でその東壁面に床と仏壇を入れる押し入れがあり、長押が廻されている。また、西隣にあるダイドコとの境は壁でしっかりと仕切られ、板間とカマドを設けている。可動的な間仕切りが2カ所あるトオリニワの奥には米蔵があり、これは、大正8年に建てられたものであると棟束に書かれている。

3-2-5 奥村松平家(紅野税理士事務所)

所在地 立花町6-18

建築年 昭和3年

間取り 1列5段型

奥村家は、先々代が昭和3年にこの家を建てたという。当時は、明治20年頃に建てられた向かいの家屋(現在は取り壊されている)で先々代が瀬戸物卸小売を営み、この家は、倉庫及び事務所として使用されていたという。屋号は「まからずや」である。平成5年に亡くなった先代は向かいの家で居住しており、この建物は、主たる住居ではなく、隠居所もしくは離れとして使われていたものであり、はじめから表は、事務所建築として建てられているという。現在は、紅野税理士事務所として使われている。

ナカニワを境として、前半部分と後半部分とは幾分違っているが、その間取りは間口4間の1列5段型である。12畳のミセノマは、機能上一部改造され、現在、事務所として使用されている。その奥に3畳のナンドと呼ばれる部屋があり、さらに奥には6畳のイマが設けられている。イマには、西側に面してナカニワがとられ、採光を確保するとともに、この部屋にも長押が廻されている。また、ここにナカニワがとられることによって、職・生活空間と儀礼的空間がはっきりと分けられている。ザシキは10畳で、その東壁面に床・違い棚・書院を設け、南壁面には西隣の室とともに縁を設けている。

その北隣にある6畳のブツマにも東壁面に床と押し入れを設けている。また、ザシキの西隣にある呼称のない5畳の部屋は壁でしっかりと区画されているが、これら3室はいずれも長押が廻されている。

2階は、8畳のザシキが2室あり、床・違い棚が設けられ、ともに長押が廻されているが、やはり主座敷は1階の10畳のザシキとなっている。

3-2-6 尾本活蔵家

所在地 立花町6-3

建築年 明治40年

間取り 1列3段型

尾本家は、先代が昭和12、13年頃からここに住みはじめる。当時は、向かいの安居善蔵氏が大家さんで借家であったが、この家は、もともと借家として建てられたものではなく、安居氏が所有した後、借家となっている。そして、戦後、先代が所有したという。

尾本家の本家は二番町にあり、メリヤス卸を営んでいたという。尾本氏が住む前、つまり、昭和12年以前の居住者は不明であるが、勤め人であって、店ではなかったという。

平面構成は、トオリニワ(土間)部分と畳敷のゆか部分とに大別され、間口3間半の1列3段型を成し、町家の基本的な間取りである。道路に面したミセノマは、前面に板張りの庇、及び、障子と格子が付けられ、東壁面に箱階段が設けられている。ザシキは8畳で、その東壁面に床と仏壇を入れる押し入れを設け、ブツマとしても機能している。また、ナカニワに面して縁が設けられ、採光をおこなっている。

その北隣にあるイマは6畳で、東壁面に押し入れを設け、これら2室はともに長押を付けている。ドマであるトオリニワの上には大きな吹き抜けがあり、その奥につづくダイドコはザシキとの境を壁で仕切られている。

昭和40年頃には床を張り、板間を設けている。ナカニワの奥にある6畳の離れは、後から建てられたものである。

3-2-7 安居徹家(近江同盟新聞社)

所在地 立花町2-63

建築年 明治元年

間取り 3列4段型

安居家は、現当主で8代目にあたり、戦後まで紙問屋を営んでいたという。屋号は不明であるが、ノレンには「安」がデザインされている。また、先々代の安居喜八氏は第5代彦根市長(昭和22年4月8日〜7月5日)であった。

現在は、正面向かって右側半分が安居家の住居であり、左側半分は近江同盟新聞社に貸している。

 

 

 

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