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低町家で2階壁面が塗りこめられているものは、白で26%(101戸中、27戸)、黒で48%(33戸中、16戸)、土で57%(69戸中、39戸)、灰で36%(42戸中・15戸)であった。高町家では、白が8%(75戸中・6戸)、黒、土、灰については塗りこめているものはなかった。長屋では、低長屋、高長屋ともに、高町家と同様、塗りこめているものはなかったことがわかる。

江戸時代、町家の2階壁面が白いものは46戸、黒17戸、土33戸、灰20戸で、これと2階壁面が塗りこめてあるものを比較すると、塗りこめられている町家がほとんど江戸期のものである。すなわち、江戸時代までは2階壁面を塗りこめている家が多く存在し、白をはじめ、黒・灰・土がいりまじった漆喰の町なみであった。2階壁面を塗りこめる手法は、時代とともに退化し、高町家に移り変わったときには、壁面の色だけが伝播したと思われる。長屋も2階壁面の色は昔の伝統を受け継いでいるが、塗りこめることは一切なかった。塗籠のあった低長屋が、すべて江戸期のものであったことからも証明できる。

2-3-2-10 1階開口部

開口部のディテールは、町家を表構えからタイプ分けするときの指標となり、軒高同様、重要なことがらである。

1階開口部は、2階開口部に比べると改造されていることが多い。住居の入り口は改造されてアルミの引き違い戸になっているが格子は残っている、といったような複雑な開口部になっている。今回の調査では、彦根の町家の格子を、細・中・荒・鉄の4タイプに分けることができた。この4タイプを使って、1階開口部を分析していく。格子・細をもつ家が、低町家で11%、高町家で15%。格子・中は低町家で21%、高町家で25%、格子・荒は低町家で10%、高町家で8%という結果になった(図2-20)。格子・細と格子・中は、低町家も高町家もほほ同じ割合になっているが、格子・荒は高町家より低町家のほうが比率は高い。

長屋では、1階開口部が改造されている場合が多くみられ、格子がなくガラス窓だけのものや、開口部以外の壁をモルタルにしてあるものがあった。

格子・細と格子・荒をもつ長屋は、低長屋、高長屋ともにわずかしかなかったが、格子・中では、低長屋で24%、高長屋で34%という結果がでた(図2-21)。これは、町家の格子・中のデータと反対になってしまう。建築年代が古い低町家と、町家に比べて年代が新しい長屋では時代背景が一致しない。

建築年代でみると、低町家で格子・細をもつものは江戸から明治末までに建てられた家がおもだが、高町家では明治初期から昭和初期までであり、格子・細の時代を確定することはできない。格子・中についてもまったく似たような結果になった。つまり、はじめは低町家で格子・細・中・荒と3つの格子があったが、後になって高町家に残っていったのは格子・細・中だけであった。そして長屋にはその格子・中がとり入れられたと考えられる。

非常に繊細な格子・細が高町家につくられられたのに対し、長屋に格子・中がとりいれれたのは、町家と長屋の格の差であろう。竹矢来というのは、いわゆる門のようなものである。

つくりは、みつけ(桟の幅)6mm、あき(すきま)90mmぐらいで、荒格子をもっと荒くしたようなものである。門というのは外部から侵入者を防ぐものであるが、竹矢来はそうではなく、表に面したみせの間を目隠しするすだれのようなもの、または表構えに装飾性をもたせたものである。

竹矢来は、長屋には2戸しかなく、町家では44戸あり、そのうち低町家には32戸、高町家で11戸、平屋で1戸であった。決して多い数ではないが、竹矢来は彦根特有のもので、きわめて地域性が強いと思われる。

2-3-2-11 2階開口部

2階の開口部は大きく分けると、虫籠、格子、窓の3タイプになる。虫籠というのは、2階壁面を塗りこめた太い格子のことで、これも防火構造である塗籠と深く関係している。格子は、1階開口部と同じ概念で、細・中・荒・鉄に分類でき、窓は昔、木の枠であったが、現在はアルミサッシになっているものが多い。

2階開口部も1階開口部と同じく、窓と格子が一緒になっていたり、雨戸をつけたりして改造しているものがある。ここでもわかりやすくするため、虫籠、格子・窓の3つについて考察する。虫籠は、ほとんどが低町家にあり、高町家には2戸しかなく、長屋では高長屋にはなく、低長屋に3戸だけであった(図2-22)。

 

 

 

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