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数値で正しい結果は得られなかったが、2階軒高が同じ高さでも1階軒高が高ければ低町家に、1階軒高が低ければ高町家に分けることができると考える。つまり、2階の窓が低いものは低町家で、2階の窓が高いものは高町家である。これは長屋にも同じことがいえる。

2-3-2 表構えのディテール

町家の表構えは、低町家から高町家へという大きな変化が明治初期から起こり、大正末期までに完了している。その変化にともない表構えのデザインもどんどん移り変わっていく。江戸時代に城下町の景観をつくっていた低町家と、2階が居室化し窓が大きくとられるようになった高町家では、表構えのデザインが明らかに違う。袖壁や塗籠、開口部の格子や虫籠など、町家の表構えを形成するディテールについて、一つ一つ建築年代と照らし合わせると同時に、長屋と比較していく。

2-3-2-1 屋根

町人のすまいの屋根が不燃材料にかわりはじめたのは、本瓦より軽便な「桟瓦」がつくられ、享保2年(1717)に瓦の使用の禁がとかれてから以降のことである。

彦根城下でも、享保年間から安永・天明年間にかけて板葺から瓦葺に移行していく。普及した理由は、技術や材料の発達はもちろんのこと、町人の生活水準があがったからだといわれている。

現在の彦根ではほとんどが瓦葺で、板葺が見られたのは一件だけであった。1階庇が板葺になっているものが中にはあったが、それも少数で、彦根の町家(長屋も含む)の屋根は1階、2階ともに瓦葺である。

2-3-2-2 地棟

地棟とは梁受けのことで、その端部を外壁の外に出しているのがこの地方の特色である。側面に出ているので、両側が閉ざされていなければその形をみることができる。しかし、町家は隣の家と接しているのが原則なので、地棟の有無を調べることは困難である。

悉皆調査では、地棟の項目をつくり、地棟を確認できたものにはその数を記入するという方法をとった。地棟は両側の家が高ければ見えないわけで、したがって正確な統計をとることができなかった。調査の考察として、地棟の数は1個から2個が一番多く、中には3個、4個とたくさんの地棟がでている家もみられた。また、棟を木のままだしているものもあれば、小鳥小屋のようなもので地棟をおおっている、きわめて装飾性の高いものや、六角形の形にしているものがあった。地棟は家の側面に装飾性をもたせる、デザイン要素の高いディテールだといえる。

2-3-2-3 卯建

卯建は、もともとは梁の上にたてられる束のことである。奈良の古い民家にみられる「高塀造り」では、藁葺の屋根組みは合掌」の構造であるが、両端は梁の上に束をたてて、そこに壁をぬっている。そこから、この屋根の仕切りのところに、両方の屋根よりも高くつき出た壁をウダツというようになり、転じて商家など隣家との境界線のところに、尾根を仕切るように高くたちあがっている壁のことを卯建というようになった。卯建をあげると、軒を連ねて見分けがっきにくい町家で、その家の構えをはっきり示すことができるだけでなく、家の外観を立派にみせる手法ともなる。518件の町家のうち、卯建があったのは10件で、うちわけは両方あるものが4件、左右どちらかにあるものが3件づつであった。長屋で卯建があるものは皆無である。興味深いことは、卯建がある10件すべてが低町家で、居住地は町人地だったということである。建築年代でみると、江戸期のものが6件で、大正期が1件、昭和初期が2件であった。つまり、卯建は昔のディティールであるということ、低町家から高町家の変化とともになくなっていったといえる。

2-3-2-4 塗籠

塗籠とは、火災から家を守るために考えられた防火対策である。江戸時代の消防法は、火をくいとめるために家を壊したり、「火除け地」という空き地ををつくったり、という原始的なものだった。そこで、壁や軒裏、側面を厚く土で塗り固めた土蔵をつくったり、瓦葺にするなど、少しでも燃えにくい構造にする必要があった。

しかし、家を塗りこめることができたのは裕福な町人だけだったので、すべての町家が塗こめられているわけではなかった。

 

 

 

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