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1-2-2 身分的居住区ごとにみた伝統的民家の残存状況

身分的居住区ごとに調査した民家を集計すると、右の表1のようになった。町人・足軽居住区に多く残り、武士居住区の残存数は全体の15%程度と、少なくなっている。このことから、明治維新による影響を強く受けた武士は、没落してその土地が売り払われ、公共施設、農地、空き地などになったと考えられる。逆に、影響をあまり受けなかった町人や、足軽の居住区では、そのまま民家が残ったのではないかと考えられる。

1-2-3 身分的居住区における建築種別の構成比

図1-3から、塀付平屋は、武士・足軽居住区といった武家地に9割以上が建っている。このことから、江戸時代はともかく、明治期以降も町人居住区にはあまり武士系の塀付平屋が建てられなかったことがうかがえる。

次に武家地から建ちだしたと考えられる塀付2階建も、武士・足軽居住区に7割以上建っており、町人居住区では18%となっている。これは、武家地とは異なり、町人居住区の町家は、間口が狭く軒が連なっており、庭や門を配した広い敷地を必要とする塀付2階建は、建ちにくかったためと考えられる。

町家は町人居住区に8割程度、武士・足軽居住区には15%となっており、ここでも居住区と建築種別の一致がみられる。しかし、塀付平屋における武士・足軽以外の居住区の割合に比べると、町家における武家地の割合が高いことから、武家地に町家が建つことの方が多かったと思われる。

長屋は足軽・町人居住区共に35%前後建っていることになり、長屋が身分的にあまり高くない人々の住居であったことがうかがえる。また、武士居住区でも長屋は2割をこしているものの、縮尺1/2500都市計画図によると、居住区の中でも郊外に建っていることがわかる。

1-2-4 建築種別ごとにみた身分的居住区の分類

1-2-4-1 塀付平屋について

塀付平屋について、身分的居住区でみると図1-4のようになる。c家なし、dその他が武士居住区のみに建っているのは江戸時代に建っていたものがそのまま残っていると考えられる。a平入り、b妻入りは武士居住区、および足軽居住区に建っており明治以降も武家地以外に塀付平屋がほとんど建たなかったことがうかがえる。また、この2つに関しては足軽居住区の占める割合が高く、主に足軽屋敷として用いられたと考えられる。

1-2-4-2 塀付2階建てについて

塀付2階建ての身分的居住区の分類は図1-5のようになった。近代洋風を除けば、7割以上、近代洋風でも5割以上が武家地に建っていることがわかる。近代和風、近代和風洋館付きは、敷地の前面に庭を配すなど広い敷地を必要とし、1軒1軒の敷地が狭い町人居住区には入り込みにくかったことがうかがえる。

近代洋風は町人居住区にも4割ほど見られるが、これは洋風建築が商店建築として、しばしば用いられたことが原因と考えられる。また、塀付き町家型は、近代和風、近代和風洋館付きよりも造りが簡単なため、足軽居住区に多く建てられたのではないかと考えられる。

1-2-4-3 町家について

町家の身分的居住区による分類は、図1-6のようになった。全体的にみて町人居住区の占める割合が圧倒的に大きいが、特に低町家に関しては9割近くにのぼる。それに比べて、高町家になると武士居住区・足軽居住区の割合が3割弱にまで増えてきている。

ここで、武士居住区、及び足軽居住区における町家の建築様式を細かくみてみる。図1-7がそれになる。これによると、両方の居住区において高町家の割合が6割弱をしめていることがわかる。次に、高町家が年代別に見て武家地でどのような建ってきたかを家屋年代別でみてみたものが図1-8になる。これによると、明治後期から武家地にも本格的に高町家が建ちはじめたこがわかる。また、武家地における高町家の新築割合をみると大正5年以降に建てられた比較的新しいものが7割以上を占めている。このことから、明治に入って身分的居住区の廃止に伴い、武家地に町家が徐々に入り込んできたことがうかがえる。

 

 

 

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