第4章 武家屋敷通りの町並み構成
─街路・石垣等の遺構─
1. 武家屋敷街の石垣と石塀
(1) 調査の概要
大村市には現在でも、江戸時代に形成された武家屋敷街跡が残されており、特に武家屋敷の石垣・石塀が保存されている。長崎県の中央部に位置する都市大村であるが、武家屋敷街が商店街から離れた場所にあるために、多くの石垣が保存されたものと思われる。
街路・石垣等の遺構調査では、当時の道路を確認するために、次のようなことを行った。
1]すでに調査されている5小路の確認調査
2]未調査の部分の石垣・石塀調査
3]大村市武家屋敷全体の石垣・石塀写真撮影
4]武家屋敷主要5小路の石垣・石塀の計測
5]石垣・石塀の積み方の調査
なお、武家屋敷及び石垣・石塀の記録については、大村市により「旧武家屋敷街現況基礎調査」が平成7年(1995)、「旧武家屋敷街写真グラフ作成調査」が平成8年(1996)に実施されている。本調査は、これらの既存調査を基に実施し、前回調査では未調査の小原地区についても行った。
(2) 街路景観としての石垣・石塀
玖島城下の石垣・石塀については、築年数がはっきりするものが少ない。記録にあるのは、わずかに円融寺および大神宮が天保年間、春日神社が慶応4年のみであり、多くの武家屋敷については、江戸時代と所有者が異なることもあって、はっきりとしない。
今回は、文化財としての価値よりも景観として優れているもの、戦前のものでコンクリート補修されていないものを選んで、調査を実施した。
また、石垣の工法については、自然石を使ったもの、切石積み、扇勾配や算木組みなど、実にさまざまなものがみられる。また、いろとりどりの海石の石積みを漆喰で塗り固めた五色塀といわれる大村地方の特徴的な塀が残っており、小姓小路では新たに修復された五色塀もみられる。石垣の上には、生け垣が見られるものもあり、かつては竹垣があったという記録もある。
石垣・石塀は玖島城下の街路景観を構成する重要な要素と考えられる。