日本の歴史をみていますと、すべて受け入れる、判定をしてはいけないのだという流れがあります。しかし、その人の人間性を否定するのではなく、その人のやったことは悪いときちんとするということは必要です。何はともあれ、こういうことをしてはいけないのだということです。
これは企業の論理のようですが、パワーの源には3つあるといわれています。ひとつは椅子についた合理的なもの。だからその椅子には誰が座ってもそこにいるだけでパワーがある。もうひとつは専門性によるパワー。これはその人が専門家であるということが持っているパワーです。3つめがカリスマ。教祖的というような訳を充てることもありますが、基本的にその人のようになりたいと思う人が多ければ多いほど、その人のカリスマ性は増すということです。
考えてみますと、医療の場の中でそれぞれの人が自分の場をきちんと持っているということがとても大事です。
一番目の合理的なパワーというのは、誰もが手に入れることは不可能です。二番目と三番目は誰でもが手に入れられるはずです。アメリカ人はカリスマが大好きです。カリスマを身につけるスクールがあるそうです。最終的には、カリスマというのはケミストリーで、そこで学んだからといって必ずしも身につくものではないということですが、いくつかの条件として、愚痴を言わない、人の話をきちんと聞く、人のよいところをきちんと認める、いつもニコニコしている、話題が豊富である、しかしだからといってその人にカリスマがあるとはいわない。そこにはやはりケミストリーがはたらいてこうした特性をとくに光らせている、と説明されています。