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私はその夜、医師として一度診察をしましたが、吐き気もほぼおさまったようだということでした。夕方から降り出した雪は積もりに積もって、その夜、大雪になっていました。しかし、朝起きてみたら、雪は止み、陽が差してあたり一面真っ白で素晴らしい朝でした。私はその方の病室へ入って行って「いかがですか」と尋ねました。「昨日よりは楽です」と言われます。あまりに外がきれいなので、「雪がとてもきれいです」と言いますと、「そうですか」というような感じで外のほうをご覧になったのですが、私はとっさにドアを開いて、というのもピースハウスホスピスは病室から直接庭に出られるのです、そこに行って降ったばかりの雪を手に掬って部屋へ持ち帰って患者さんに上げようとしました。そのとき、付き添っている娘さんが側にあった膿盆を差し出してくれたのですが、私は首を振って断って、患者さんに直接手渡すようにしました。患者さんは両掌を椀のようにまるめて受け取って、「雪がこんなに軽いなんて、生まれて初めて知ったわ」と喜んでくれました。私としてもその喜びによって救われた感じがしました。

というのは、吐き気を止めるための医学的な対応はある程度できるのです。医師として症状をコントロールすることはある程度できるのです。しかし、そうかといってそれが患者さんの本当の回復につながるものでないことは患者さん自身が一番よくわかっておられるし、こちらもわかっていることです。そういう状態の中では医師としては、患者さんの前でただたたずむしかないのです。ご家族と同じようにもどかしい、空しい思いにすら駆られるのです。しかし何か慰めるすべはないものかと。それがひと掬いの雪によって目の前に患者さんの喜びが実現されたのです。私も喜んだし、看取りをされていた娘さんも喜ばれたのでした。

 

 

 

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