チェルノブイリ原発事故被災児の検診成績 I
―“チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト1991-1996”より―
山下俊一*/柴田義貞*/星正治*/藤村欣吾*/ほか**
1. まえがき
チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトは、1986年4月に発生したチェルノブイリ原子力発電所(原発)の事故より5年後の1991年5月にウクライナ、ベラルーシ、ロシア連邦の3共和国で、事故による放射能汚染を受けた計5地域(ウクライナ2地域、ベラルーシ2地域、ロシア連邦1地域)をセンターとして事故当時の児童を対象に検診活動を開始し、1996年4月に当初の5か年計画を終了した。主な検診内容は、被曝放射線量測定、甲状腺検診、血液検査の3項目で、検診児童数は5センター合計で延べ約16万人に達したが、このうち重複受診者や検診データの不完全な者を除いた約12万人を本報告における解析の対象とした。なお、本報告の詳細は既に英文報告書1)として発表されている。
チェルノブイリ原発事故に関しては、今日までに外部からも多くの援助が行われてきた。これらは国連、世界保健機関、国際原子力機関、ヨーロッパ連合などの国際機関をはじめ、各国政府や民間団体などによるものであるが、特に事故後の数年間は援助内容も事故の影響把握に関する調査的なものが主で、被災地住民への支援を直接の目的としたものは皆無に近い状態であった。
このような状況下で、1990年2月、当時のソ連政府は国際医療協力の面で多くの実績を持つ(財)笹川記念保健協力財団に被災地住民の支援を要請した。これを受けて、同財団は(財)日本船舶振興会(現・日本財団)の協力の下に、“チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト”を発足させることとし、同年8月にはプロジェクトの実施方法に関する調査団を現地に派遣した。
その報告2)によると、1]被災地の住民の不安が大きいこと、2]その原因の一つは正確な情報が伝わっていない点にあること、3]健康上の問題点を早急に把握する必要があること、4]それには直接の住民検診が適していること、5]被害を受けやすい児童を優先すべきであることなどの諸点が指摘された。これに基づいて、関係諸機関と協議を重ねながら5か年計画のプロジェクトが作成され、チェルノブイリ笹川医療協力委員会が3共和国の関係者と協力してその実施を担当することとなった(表1)。