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II. 里山における地域づくり(エコミュージアム)

 

1. 里山をめぐる状況と諸課題

 

1) 里山の機能衰退と価値観の変化

 

(1) 狭山丘陵周辺地域の土地利用の推移

1960年代の高度経済成長期に、第ニ次産業を中心とした労働力の大都市への集中が進められ、首都東京近郊に位置する狭山丘陵周辺地域では急速な都市化が進行した。その結果、土地利用状況も著しく変貌し、とりわけ里山景観を構成していた田畑、山林、原野、池沼等が減少した。

狭山丘陵をとりまく5市1町の1999年3月時の人口は78万を越え、世帯数も30万に迫っている。1990-1995年の人口増加率は、東村山市、東大和市、武蔵村山市を除いて5%以上を示している。除外3市は2%以下とほぼ安定しているが、これらの市では1960年代から70年代にかけて著しい人口増加を果たしている(表II-1-1)。

 

表II-1-1 狭山丘陵周辺市町の現況

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注)

・人口および世帯数は1999年3月31日現在『平成11年版住民基本台帳人口要覧』による。

・人口増加率1]は『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』による。

・人口増加率2]は『平成7年国勢調査人口日本分県市町村統計』による。

 

このような人口増加は当然、土地利用の変化に反映されている。図II-1-1は上記市町における1974年からの24年にわたる宅地面積と里山景観域面積の各市町面積に対する割合の推移を示したものである。ここで里山景観域とは、田畑、山林、原野、池沼を含めたものである。里山景観域面積比の低い、したがって宅地面積比の高い市とその逆の市町に二分されるが、これらの差は、都市化先発地域か後発地域かの違いでしかない。いずれの市町においても里山景観域面積の経年的な減少は歴然としている。

里山景観域の減少は、当然ながらそれを支えてきた農家人口、農家数のそれと連動している。図II-1-2はその推移を示している。1970年から1995年までの25年間の変化を見ると、都市化先進地である東京都側で減少幅はより大きく、東大和市の70%を筆頭に武蔵村山市66%、瑞穂町58%、東村山市57%となっている。対して、埼玉県側ではほぼ50%減となっている。また、専業農家数の対農家総数比の経年変化は、丘陵の南北で異なるパターンを示し、北側で比率が高くなっている(むしろまだ高いと言うべきだろうか)。注目すべきは、1990年以降所沢市、入間市、瑞穂町の2市1町でこの比が増加している点である。つまり里山景観域の維持者が増えているということである。

 

 

 

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