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5) 里山の暮らしの知恵

 

(1) 伝承文化

里山の機能が十分に活かされていた時代には、その地域の自然と暮らしは常に一体のものとして捉えられていた。近世の武蔵野においては、それまで入会秣場であった原野が新田開発等によって耕作地や雑木林に姿を変えてきたという歴史がある。里山の成り立ちには、このような生産領域の拡大とそれに伴う産物利用の促進が大きく影響しており、同時に里山文化の形成を促す要因でもあった。そこには人びとの基本的な姿勢として、自然を認識する確かな「目」とそれを活用する技術を習得するための不断の「努力」があったことを見逃してはならない。これが狭山丘陵においても例外でないことはすでに述べたとおりである。

里山の暮らしのなかでは、さまざまな民俗知識が生まれ、伝承されてきた。ここでいう民俗知識とは、単なる知識ではなく豊かな生物相を育みながら里山の機能を下支えしてきた「暮らしの知恵」である。具体的には地域特有の地名であり、生物の呼称(方言名)、俚諺(ことわざ)、俚謡(作業唄、教訓歌等)、俗信(いい伝え)等として受け継がれてきた"生活の糧"といえよう。これらの伝承文化は口承によるものがほとんどであり、したがって時代の変化とともにいつしか忘れられた存在となってしまったことは残念である。

今、新しい里山文化の創出が求められているなかで、生業や暮らしにかかわる優れた技術と知恵の継承が続いている事実を考えるとき、里山文化という従来とは異なる視点から狭山丘陵の自然を再評価することも必要ではないかと考えられる。

 

(2) 里山の産物利用

里山が保有するさまざまな機能のなかでも物質面における各種の産物利用は、生業や暮らしにおいて重要な役割を果たしてきた。狭山丘陵の場合にはヤマから発生する[有機産物]の利用が中心である。図I-2-7はヤマ・屋敷・耕作地における利用体系を整理したものであり、一部では小規模な循環機能が認められる。

かつての里山の暮らしにおいては、用材や薪、落ち葉をいかに確保するかは最も切実な問題であり、そのためにヤマから[有機産物]を得るための労力を最小限に抑え、効率の高い管理を行わなければならなかった。そこにはヒト(労働)、モノ(産物)の両面において無駄を徹底的に排除しようとした里山ならではの合理性が認められる。

里山が農用林としての役割を著しく低下させてしまった現在、これからの植生管理を考えると従来の利用体系に代わる新しい管理・利用システムの実現が急務である。このことは、すでに各地でいくつかの提案や試行がなされている状況であるが、貴重な自然資源の保全とともに早急に取り組むべき課題の一つといえる。

 

 

 

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