川というのは、すでにもうそれ自体が
浄化装置なんです。
それでねえ、生物的にいいますと、川というのは、すでにもうそれ自体が浄化装置です。流れてですよ。川岸に植物が生える、いろんな植物がいるでしょ。川の中には藻があったりするでしょ。岸辺には柳があったり、葦があったり、いろんな植物全てがですね、川の水をきれいにする浄化装置ですよ。それから、例えば川の水と砂が触れ合うでしょ、泥が触れ合うでしょ、泥の中にバクテリアが棲んでいるんです。必ず棲んでいるんです。そのバクテリアが川の汚れの元をきれいに食べるんです。で、我々が工業的に使っている、工業的っていうか、まあ、この徳島市でも汚水施設が、立派なのがあると思いますが、その汚水、我々の出した排水ですよね、トイレとか台所から流したものとか、汚れた水、これをきれいにするのが何かといえば微生物でしょ。微生物が食べて、分解して、別の物質と水とに分けていくのは微生物であります。この装置というのは自然にあるわけですよ、既に。川の中にあるわけですよ。白砂青松の浜といってね、白い砂と松の木の緑の浜というのは、これは昔から日本人が美しいと思ってきた風景ですけども、白砂青松の浜もどんどん、どんどんなくなってしまってね。今の日本の現状はそうですよね。
広島の広島湾で牡蠣を養殖している漁師たちはね、太田川という原爆ドームの横を流れている川の上流に一生懸命木を植えている。木を植える運動というのは全国的に盛んになってきました。これは北海道の漁連の婦人部が始めたことなんですよ。それはもう全国的にやっぱり海を守るためには山の源流に木を植えようという運動が要するに民間、漁連とかね、漁組とか、漁師たちがやってて、ぼくらが手伝いに行ってたりしてるんだけども、それが全国的になっている。つまり、自然というのは全部つながっていて、どこも無駄がないということですよ。川も全部そうです。全部が水の浄化装置なんですよ、あの川というのは。それがコンクリートとですねえ、コンクリートが間に入ってしまって、水と土や砂が、バクテリアがいるところの土や砂が触れあわないような状態になってしまっている、だから川は自分自身の生命力が奪われていって、単なる排水という感じになっている。
河口域の話をちょっとします。河口域というのはまあ、ここも河口域ですけども吉野川もねえ、川、自然というものは「光は万象の具」のごとく同源という話を最初にしましたけども全く無駄がない、全ての生物がよりよく、生きとし生けるものがすべて幸いに生きられるようにできていると、それが自然ですよ。そうするとね、例えばすこしでも多くの生物が、同じ決まった空間ですから地球という空間の中に、できるだけたくさんの生物が生きられるようになっているわけです。しかもそれがお互いにお互いを補い合いながら一種類だけがガチッとすべての空間を占拠して生きるようにはできていない。お互いに補っていくようになっているわけです。例えば、決まりきった空間にですよ、これが河口域だとします。この空間に、できるだけたくさんの人が来るためにどうしたらいいかといえば一番簡単なのは入れ替え制でしょ、入れ替えするわけです。時間決めになって、「はい昼の部、夜の部」って交代すれば倍の人が入れるという考え方ですよね。