明治期になり、幕藩時代の諸制度も廃止され、同22年の町村制実施に伴い池田町となった。明治43年には箕面有馬電気軌道が開通し、同社が日本初の分譲住宅地「室町住宅」を販売した。室町住宅は「池田新市街」の名のもとに、明治42年3月に用地27,000坪を買収して一定の企画に基づき計画的に開発され、約100坪を一邸宅とし、中産階級をターゲットに販売された。住宅は今日に至ってほとんどが建て替えられ、敷地の細分化もみられるが、まちの構造は、明治期の面影をそのまま残している。
鉄道の開通により、人口は急増し昭和10年には周辺の細河・秦野・北豊島の3ケ村を合併し、昭和14年に池田市が誕生した。
第2次世界大戦末期には数回の空襲を受けたが、壊滅的な被害は免れた。
地域一帯はその後の高度経済成長期には市街地整備が進み、公団五月ケ丘団地などもつくられ、池田駅周辺の商店街も発展した。昭和50年代からは安定成長の時代に入り、当地域は市街地の更新が課題となった。このため昭和59年には阪急電鉄の高架化、60年には池田駅前の市街地再開発事業が行われた。
平成7年の阪神・淡路大震災では、当地域はかなりの被害を受けた。
地域の人口は現在減少傾向にあり、商業活動も低迷しており、新たなまちづくりへの取組みが求められている。
(2) 社会経済活動上の特徴
ア 人口世帯数の動向、年齢構成
調査対象地域の含まれる町丁目の人口・世帯は平成7年国勢調査で14,623人、6,250世帯であり、昭和60年と比較すると世帯数はほとんど変化していないが、人口は11%も減少している。市全体の人口は横這い傾向にあることから、調査対象地域では「人口の空洞化」が進んでいるといえる。
町丁目別には新町の人口減少率が30%と最も高く、次いで綾羽2丁目、栄町、栄本町、大和町が20%台の減少率となっている。人口が増加している町丁目は18丁目中6丁目であるが、五月丘5丁目の増加率が突出して高く(39%)なっている。これは五月山山ろくでの宅地開発によるものと考えられる。
世帯当たり人員は2.3人であり、単身者、小家族世帯が多いといえる。