「ブランド」として確立していた主力商品は、世代を問わず広く消費者に受け入れられていく一方で、個性化と画一化を嫌って軽やかに嗜好を翻す若者たちに大きく支えられるという危うい土台を抱え込むことになり、80年代に入ると「ブランド」商品の失権は明らかになった。
70年代を通じて進んできた「嗜好の多様化」はサントリーの国際戦略にも影響を与え、70年代半ばからは商品のラインナップ(酒類やサイズ)を多様化させるとともに、海外からの輸入ワインの銘柄を増やしている。また従来の「市場を海外に求める」という方針は捨てて、企業買収を通じて現地の有望な企業を手に入れ、それを育てていくという戦略に転換した。この戦略に基づく最初の買収がアメリカのぺプコム社(1980年)であり、買収と育成という基本方針は現在も続けられている。1980年代後半からアジア市場での売上が急上昇しているとはいえ、国際事業による売上の主要部分は買収によって取得したアメリカやシンガポールの水、食品の製造販売会社の売上に負っている。
2. アジア市場の動き
サントリーの国際事業展開の新しい段階として注目されるのが、アジア市場での近年の成功である。アジアへの進出は1983年の中国北京事務所の開設に始まり、その後1984年に中国・江蘇省に江蘇サントリーを、95年には上海サントリービールおよび上海サントリー梅林を、96年には台湾の台北とタイのバンコクに事務所を開設している。
江蘇省では現在、江蘇サントリーの主要ブランド「王子」(ビール)がトップブランドとなっており、上海でも1996年から発売した二つのブランドのビールが99年に上海市内で30パーセントを超えるシェアを獲得して、第一位の売上を記録している。また上海で97年から生産・販売を始めたウーロン茶の売り上げが急激に伸びており、生産体制の増強をはかるまでになりつつある。
アジアでのこのような動きにおいて興味深いのは、70年代を通して日本で生じていた消費をめぐる社会の変化と似たような傾向が、90年代の半ばを過ぎるころになってアジア各国で見られるようになってきていることである。それは現象としては消費者の「層の広がり」や「嗜好の多様化」として現れるのだが、内容としてはむしろ「気分」の転換といえるようなものだと中国や台湾で営業活動をしている担当者は言う。ひとつには、ブランドの「高級イメージ」もさることながら、「値ごろ感」を冷静に判断して買う傾向がみられるという。この銘柄であれば絶対、とするのではなく中身と値段を天秤にかけて割高と感じられるものにはあまり手をださない。また売り手が商品にのせているイメージとは関係なく、ある商品をそれぞれの消費者が「自分たちのスタイル」を主張するひとつの道具として自在に利用するようになっており、それにつれて「ブランド」よりはさまざまな商品の柔軟な受け入れが始まっている。中国における缶入りやペットボトル入りウーロン茶の成功はこのひとつの例である。お茶は中国のもっとも伝統的な飲料であり、そもそも冷たいお茶などというものはお茶ではないと思われていたような国で、缶入りやぺットボトル入りの冷たいウーロン茶が爆発的な売れ行きを示している。広告では「我らの時代」というコピーがつけられ、街ではとくに500ミリリットルのペットボトルを持ち歩く姿が「流行」になるなど、伝統的な「お茶」の飲み方にたいする新時代のオールタナティブのスタイルを生み出す契機として、これらの製品が利用されているのである。